『「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』 アラン・ソーカル, ジャン・ブリクモン 岩波現代文庫

無理数虚数の区別がついてないラカン
有限集合{0,1}と無限集合区間[0,1]の区別がついてないクリステヴァ
無限小と極小の区別がついてないドゥルーズ等、
フランスの馬鹿な思想家の化けの皮を剥がした傑作。

認識論的相対主義批判の章では、世界一の科学哲学者ポパー先生の論旨を補完し、世界一のギャグ哲学者のファイヤアベントの暴走を諌めてます。
ファイヤアベントは哲学界の宮廷道化師という指摘は巧いと思った。
絶対的客観的実在を認めないポストモダンの思想家の一番酷い奴は物理定数も認めないらしくて呆れ返った。
ポストモダンの論客は気狂いだよな。
正気だったら詐欺師ざんす。

本書のベストセリフ

ラカンの数学をどう受け取ったらいいだろうか?ラカンの真の意図について、彼がどの程度真面目に精神分析学の数学化を目指していたのかについては、批評家の間でも意見が分かれるところである。
この質問自体にたいした意味はない。ラカンの数学はあまりにも荒唐無稽なので、どのような心理学的な分析にも、役に立たないからである。
精神分析と数学の間の彼のアナロジーは、おおよそ考えられる限り気ままなものだが、彼はそれらのアナロジーの経験的あるいは概念的正当化を金輪際与えない。そして、上面の博識ぶりと意味のない文章を並べ立てる。
ラカンと彼の弟子たちのもっとも顕著な面は、おそらく、科学に対する彼らの態度、そして実験や観察をないがしろにしてまで、形式的議論と言葉遊びを重んじることだろう。
ラカンを擁護する人たちが批判に対抗する時に使いたがる戦略を「でもなく・でもない」方式とよぶことができる。
ラカンの著作は科学として評価されるべきでもなく、哲学として評価されるべきでもなく、詩として評価されるべきでもなく、……でもない。こうなると現世的神秘主義というほかないものにつきあわされていることになる。
これらの言説は、理性に訴えかけることなしに、純粋に美意識ではない精神作用を作り出そうとしているから、神秘主義なのであり、文化的に参照しているもの(カント、ヘーゲルマルクスフロイト、数学、現代文学……)
が伝統的宗教となんら関係なく、当世の読者に受けるものだから現世的なのだ。
さらに、時が経つにつれ、ラカンの著作は、言葉遊びと断片化された統辞法をないまぜにすることで、ますます判じ物めいてきた。これは多くの聖典に共通する特性である。そしてこれらのテクストが、弟子たちによる敬虔なる教義解釈の基礎となっていくのだ。こう見てくると、つまるところ、われわれは新たな宗教を相手にしているのではないかと疑っていいようだ」

引用されてるラカンの文読んでると脳みそが腐りそうだ。
各章の最後にまとめの結論が書かれているので、
引用文は読まずに結論だけ読んだ方が健康に良いだろう。

この本で詐欺師として糾弾してる社会科学系人文科学系の人物の中ではラカンが一番メジャーだと思うので、
ラカンネタは詳しく引用したが残りの雑魚はどうでもいいよね。

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)