『林達夫セレクション〈1〉反語的精神』 平凡社ライブラリー

本書のベストセリフ

学生さん「20世紀思想の研究をどういう風にやったらよいか」

林達夫「義眼のように薄気味悪い目つきをしたサルトルの小説などばかり

    読み耽っている君には、最良の答えは見えないだろう」


似非思想家をぶった切る林先生は素晴しい!

林先生に言わせれば、本物の思想家なんてほとんどいない。

自称思想家のほとんどは、思想仲介人に過ぎない。

林先生も自身を知のブローカーだと認めておられます。

商人が扱う荷が、「思想」であるというだけなのに、

自分が利潤追求の商人だと気付かず、

思想家、哲学者でござるとデカイ面してる奴等は滑稽だよな。
コナリーの「ブラックアイス」探索中に古本屋で見つけたので買ってしまったが、

西田幾多郎批判を小林秀雄批判のついでにやっているのは痛快だった。

文芸評論家の一番権威(+一番ファンが多い)は小林秀雄だと思うが、

小林が西田幾多郎プラトンデカルトに比較した論文があるのだが、

西田をかっちょよく持ち上げる小林を林先生は嘲笑っております。

西田は哲学者の孤独な苦悩など持ってない。

ノーテンキに、無意味な言葉遊びを連ねただけざんす。

西田哲学ももちろん、デカルトプラトンも哲学者ではない。

プラトンは戯曲作家として評価すべきだという林先生の論理は凄く知的興奮します。

林先生が一番好きな哲学者がエピクロスというのは、

快楽主義が間違って広まった現在、誤解されて林先生に不利だが、

堂々とエピキュリアンと自称する林先生がますます好きになりました。

肉体の快楽は苦痛なのである。

精神の快楽を求めるのがもっとも素晴しい生き方である。

本は精神の快楽を求める為に読むのである。

読んで知的興奮しない本など三流である。

林達夫よりマイクル・コナリーの方が凄い説を展開出来る、

アノニマスネタがあったのは大収穫。

あと、一般受けする教育論では、

教育問題を語る時、

まず第一に槍玉にあげなければならないのは教師である。

という説は万人に受けるであろう。

教師は「教育以前の常識も躾られてないアホガキを学校に送り込む家庭が悪い」

と反論するだろう。

では、教師が教育しやすい理想の家庭の優等生ばかりが、

学校に来るとする。

これで教育問題は解決するか?

毎年度理想の優等生が入学するように、

家庭を啓蒙しても、

その優等生は、ほんの数年で卒業するのである。

教師はほんの数年で転職する奴は少ない。

教師の質を上げるのが、

教育問題を解決するのに、

一番コストパフォーマンスのよい方法なのは明確である。

教育で問題が発生するのは、

すべて教師が悪いのである。