『サイコトパス』 山田正紀 光文社

山田正紀 の難解な作品のベスト5だと言われるが、

ラストで結末を読者に委ねる放り投げタイプなので、

真相が明示されないので悩むが、

命題の真偽が決定不可能というだけで、

命題自体はエレガントな良い文で表記されているので、

判り易い。

天才山田正紀 は天才クルト・ゲーデル に興味がある筈だが、

今までには言及が無かったが、

本書はクルト・ゲーデル の「不完全性定理」 が出てくるので、

山田正紀 が「不完全性定理」 を小説化したと解釈するのなら、

真相は決定出来ないというのが答えだろう。

ラストは答えがAかBかのどちらかに収斂する直前に終わるが、

自分で自分を観測することが答えになる構成で、

ハイゼンベルク不確定性原理のパロディも同時にやっているのか?

サイコトパスの8人の全会一致性も破れているので、

アローの不可能性定理も小説化しているよな。
小説世界内の論理システムでは、

真相は不完全で不確定で決定することが不可能だが、

上位の論理システムの読者が決定することは可能である。

私が決定した真はオーダーの多い方である。

サイコトパス(ベラスケスエンジン)が作られた本来の目的を考えれば、

そうでなければいけない。

多いオーダーは少ないオーダーを含むので、

少ない方が真と考える人もいても間違いではない。

あっ、ラッセルのパラドックスも小説化してるかw

読者がどちらを正解として解釈してもかまわないが、

小説世界内の登場人物には正解を決定することは出来ないというのが、

この小説の正しい意味である。

意味と解釈の違いも正しく認識している、

言語学SFとしても傑作である。

蛇足だが、サイコトパスがベラスケスエンジンと

呼称される理由が判らない人は「ラス・メニーナス(女官たち)」を

見れば合点がいくであろう。

サイコトパス

サイコトパス