『評決のとき』 ジョン・グリシャム 新潮文庫

マイクル・コナリーのリーガル・ミステリーが面白かったので、

リーガル・ミステリーの大家のグリシャム読んでみたが、

激しく期待外れ。

推理する謎などないポンポコピーリーガル・サスペンスでしたw
公判が開始されるのは下巻の200P過ぎてからというテンポの悪さ。

白人を射殺した黒人を主人公は弁護するので、

主人公にテロ攻撃するKKK団と、

黒人擁護団体との駆け引き、戦いがメイン。

丁々発止の法廷内のやりとりを期待すると脱力します。

法廷シーンの描写はコナリー以下である。

主人公も敵の検事も頭が悪すぎる。

娘を強姦された黒人が白人を射殺して、その黒人を主人公は弁護するのだが、

自分の娘が強姦されたらと想像して下さいという、

感情に訴える作戦がメインというアホ。

殺人罪より強姦罪の方が罪が重いんだってさ。

娘を強姦された父親は犯人を射殺しても無罪になるのが当然。

それどころか、英雄として表彰すべきなんだってさ。

法令尊守の精神がなく、私刑を認めるというトンデモない弁護士が主人公。

検事は、自分の娘が強姦されても、私的に復讐はしない、

法の裁きに任せると言うのだが、

合法精神のない主人公の弁護士は、検事を偽善者と決め付ける。

娘を強姦されて、犯人を殺せない父親は腰抜けだそうです。

私刑を推奨するこのケダモノのような弁護士の論点は、

簡単に論破出来るよな。

一人の犯人が複数の少女を強姦した場合、

復讐する父親の権利の優先度はどうなるのか?

早いもの勝ちだとすると、

犯人から物理的に遠い位置の父親が不利。

全員が同時に犯人を射殺出来る環境を整えるべきだとなるだろう。

復讐殺人が素晴しいものであるならば、

その栄誉を独り占めしたいという父親が現れることも考えられる。

父親同士の権利の争奪戦の殺し合いも認めるのか?

法は介入しない、私刑を認めるという弁護士の論点を認めると、

殺人の連鎖が止まらなくなり、法は必要なくなる。

法曹関係者が私刑を認めるのは、

自分の職業は必要ないと言ってるのと同じである。

リーガルものの主人公として、

こんなアフォな主人公を立てたグリシャムはき○がいですな。

評決のとき〈上〉 (新潮文庫)

評決のとき〈上〉 (新潮文庫)