『私の幸福論』 福田恆存 ちくま文庫

「幸福になりたい!」などという浅ましい欲望を所持していると、

神や仏に、「幸福になりたかったら俺様の言うとおりに生きろゴルァ!」

と脅迫されて、惨めな人生を送る破目になるので、

この手の本は読む趣味は無かったのだが、

知り合いの画家さんのお勧め本であり、

知的興奮する本が多いちくま文庫ということもあって、

ついつい買って読んでしまいますたw

私は福田恆存に、シェイクスピアやエリオットの訳者というイメージしか持ってなかったが、

この本を読んで随筆家としても福田恆存は一流だと思いました。
醒めた超越者の視点があるので、福田恆存は一流である。

幸福論と言いながらも、最後まで「幸福の定義」はしない。

世界に同じ人は居ないのだから、幸福と自称する人の

幸福になる方法が別の人にも巧く適用出来る筈がない!

幸福を語ることの無意味を福田恆存は承知しながら、

不幸に耐える方法を提示する。

一言で言えば、「素直に不幸を受け入れよ」

ということである。

自由平等公平な人間社会が実現しないことを福田恆存は理解している。

理想を唱えても、社会は急速に改革されるわけがない。

現実が不幸なら、不幸を受け入れるしかないのだ。

理想は実現不可能なので理想なのである。

理想主義にこだわりすぎて一生懸命生きても、

理想が実現しなかったら、自分を負け犬と判断する危険性が生ずる。

福田恆存は素直な心で自然体で生きろと言ってます。

人生の勝利者になることにこだわる無理無茶は疲れる生き方だと言ってます。

仏教的宿命感が色濃くでた幸福論だが、

もちろん、金儲け主義の宗教団体の構成員になることには否定的。

宗教団体ではなくて純粋に宗教を信じるのはOK。

そして団体組織には必ず職能差が現れ、差別が発生する。

差別が存在するのが社会だから、

福田恆存は差別も当然肯定します。

差別されたら「私はその通りの存在です」と素直に肯定して受け流せばいいのだ。

欠点も個性と福田恆存は認識し、個性だからそれでいいと言います。

欠点弱点だらけの人間だとしても、あせって長所を見つけることはないと言います。

僻み根性で努力してもいい結果にはなりませんぜ!

自分を進歩的知識人と誤解している似非教養人を批判している文も痛快であった。

教養とは他人を幸福にする為に存在するのです!

知識があっても、それを武器としてしか使わないのは野蛮人です。

各々の個性に応じて素直に自然体で生きろという福田恆存性教育も否定します。

性欲には個人差(最低の性欲を持つ者の性欲値を1とすると最大の可能性欲値は1800だそうですw)

があるのに、性の知識をわざわざ学校で教える必要がないと主張します。

学校やマスゴミが情報を流さなければ、恋愛欲も性欲も発生率が下がるのでは?

というナイスな意見を開示します。

若者の性の乱れは、情報に踊らされているだけと、若者を馬鹿にしてます。

若者に媚びるマスゴミや学者が多くなった現代は情けないよな。

福田恆存が21世紀まで生きていたなら、宮台真司を痛烈に批判してくれたに違いないw

私が代弁するなら、若者の悩みの大半は、

幸福と快楽を混同していることから発生しているのだ。

生きるのが虚しいだと?

快楽だけを追い求めていれば虚しくなるに決まっているじゃん!

規制があるから、自由の喜びがある。

苦痛があるから、人生に喜びも発見出来るのである。

長々と書いたが、幸福とか不幸とか考える暇もなく、

ただ、ガムシャラに働くしかない人々の存在も福田恆存は認識していてビバである。

幸福になりたいとのんびり考える暇がある人は、既に幸福だと思いますw

福田恆存評論集〈第17巻〉私の幸福論

福田恆存評論集〈第17巻〉私の幸福論