『楽毅』 宮城谷昌光 新潮文庫

諸葛孔明が理想とした武将楽毅の生涯を気品高く描き切った傑作。

漢の高祖劉邦が好きだった武将でもあるが、

史記の描写は少なくてどこをどうすれば全四巻になるのかと危惧する諸兄は

史料は史記しかないと思い込んでる初心者である。

他にも色々ありますからなw

楽毅の魅力を一言で語るならば、

生きている限り諦めない不屈の闘志の持ち主であるということであろう。
古代中国の戦国時代、戦国七国に含まれない超小国中山の武将として生まれた楽毅は、

斉に留学し、孫子の兵法を学んで帰国する。

そして隣国の大国趙が中山に侵略を開始する。

圧倒的な大軍を敵に回して、楽毅は天才的な兵法で勝ち続ける。

生涯一度も戦場では負けずに天寿を真っ当した楽毅であるが、

軍事以外に実は外交能力も行政能力も一流だったので、

戦争で勝ったところで、味方の負傷者ゼロの戦争を行うのは至難の技なので、

外交で平和を勝ち取れなかった己を無能者として

自戒している醒めた目を持っている楽毅がデラかっちょええ!

楽毅がいくら天才でも、国力の差は中山を滅亡に追い込むが、

中山の最後の城を巡る戦いでは、

中山軍四千人に対して、攻める趙軍十万人である。

二十五倍の敵に対しても対等に戦ってしまう楽毅は、

中国五千年で一番の武将である。

太公望も十倍の敵を打ち破ったに過ぎない。

で、並みの武将なら最後の城が落ちたら、国は滅亡したと諦めるのだが、

「国家の本質は領土ではなくて、国民と政府である」

楽毅は主張し、国王を脱出させてたった600人で小さな砦に篭り、本当の最後の戦いが展開される。

二十五倍の戦力で包囲しても中山国王を倒せなかった大国趙の面子は丸潰れである。

で、楽毅の能力を考えると、たった600人を殺すのに、趙軍は三年かかると判断し、

勝っても笑い者になると、趙が泣きつく形で中山国は滅亡するw

中山国王は候として生き延び、楽毅は在野武将となる。

楽毅と戦った趙の武将は楽毅の凄さを身に染みて知っているので、

楽毅を登用するようにと趙王に進言するのだが、

時の趙王は織田信長タイプの傲岸不遜な人物なので直接楽毅をスカウトに来ない。

来たところで自国を滅ぼした国に仕官するのは、忠臣楽毅としてはなんでかな?である。

超小国の悲哀をさんざん味わった楽毅であるが、

またまた小国の燕に仕官することになる。

楽毅は燕の昭王の人格に名君を見たのだ。

でこの時の昭王の部下には「まず隗より始めよ」の郭隗と

戦国二大説客家の一人蘇秦(+蘇一族)がいた。

燕もなかなか有望じゃん!

で、史記でお馴染みのたった半年で大国斉の城を70も落とすという快進撃を

燕軍の楽毅は見せる。

斉の残りの城はたった二つのみ。

が、これが三年かけても落ちない。

楽毅は占領行政のことを考えて完璧な大量虐殺は避けて、

わざと落とさずに、楽毅の行政の素晴らしさで、自然と二城が帰服してくるのを待っていたのだが、

戦争で落とすのが当たり前と思っているアフォの二代目君主は、

楽毅が斉王として自立すると疑い、楽毅を罷免してしまう。

中国五千年で最大の万能の人物、孟嘗君はいみじくも叫んだ!

「今の燕王は歴史上最悪のアフォの王として歴史に刻まれるであろう…」

楽毅は燕に帰ってもアフォに処刑されるだけだと、妻子を燕に残したまま趙に亡命する。

楽毅を失った燕は斉にまたたくまに70城を奪回される。

楽毅は趙で外交官として天寿を真っ当する。

忠臣楽毅と言われるが、君主がアフォの場合は亡命しているのが興味深い。

楽毅を乗り越えようとしていた孔明は、劉禅がアフォでも見捨てるわけにはいかなかったのだなと、

三国志ファンの私は思いました。

妻子見捨てる楽毅も私の壷にはまります。

男は世の為人の為に生きるべきざんす。

楽毅(一) (新潮文庫)

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楽毅(二) (新潮文庫)

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楽毅(三) (新潮文庫)

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楽毅(四) (新潮文庫)

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