『夏・風・ライダー』 高千穂遙

どこにも長所がない最低最悪の右翼小説。

ストーリーはご都合主義に溢れているし、文章力はないし、

キャラが描かれてないし、モチーフもテーマも悪いという、

ヘタクソな小説の見本が本書である。

ラストで意外なドンデン返しがあるじゃないか!

と思う方もいるかもしれんが、

あんなものはとっくの昔に、高斎正が「ホンダがレースに復帰する時」でやっているのだ。

そして、レース小説の最高傑作は大藪春彦の「汚れた英雄」である。

本書の危険性は、公道レーサーが速いと自覚する錯覚を説明していないことである。

公道を百キロ以上で暴走して、誰も俺を抜けなかった。

俺のテクニックはプロ並みではないかと思うのは、とんでもない間違いなのである。

暴走族が速いのは、一般市民が命を賭けたテクニックで道を譲ってくれるからなのである。

さらに恐るべきことに、高千穂は、高校のクラブ活動としてモータースポーツを広めるべきだと主張している。

スポーツというものは元来、生存率が極めて高いというだけで、本質的には戦争なのである。

学校のクラブ活動や授業にスポーツがあることすらファシズム教育なのに、

単なるスポーツより兵士としてただちに戦争に適用できるモータースポーツを高校で教えるべきだとは、

やはり発動機付縦式二輪走行対人轢殺機械(一般にはオートバイとも呼ばれる)を愛する男の考えそうなことである。

狩猟だってスポーツだよ、ついでに銃の撃ち方も高校で教えるべきかね。

もっとも許せんのは、アーサー・C・クラーク山高昭を愚弄したことである。

和文学より人殺しメカの方が大事だと主張したことだ!

夏・風・ライダー〈上〉 (角川文庫)

夏・風・ライダー〈上〉 (角川文庫)