『お伽草紙』 太宰 治

・瘤取り
・浦島さん
・カチカチ山
・舌切雀

本書のベストセリフ

「処女の怒りは辛辣である。殊にも醜悪な魯鈍なものに対しては容赦が無い。」

引き続いて引用が長くなるが、名文なので読んでくれたまえw

いかなる事情があらうと、詭計を用ゐて、

しかもなぶり殺しにするなどといふ仇討物語は、

日本に未だ無いやうだ。

それをこのカチカチ山ばかりは、どうも、その仇討の仕方が芳しくない。

どだい、男らしくないぢやないか、と子供でも、また大人でも、

いやしくも正義にあこがれてゐる人間ならば、

誰でもこれに就いてはいささか不快の情を覚えるのではあるまいか。

 安心し給へ。私もそれに就いて、考へた。

さうして、兎のやり方が男らしくないのは、それは当然だといふ事がわかつた。

この兎は男ぢやないんだ。それは、たしかだ。

この兎は十六歳の処女だ。いまだ何も、色気は無いが、しかし、美人だ。

さうして、人間のうちで最も残酷なのは、えてして、このたちの女性である。

ギリシヤ神話には美しい女神がたくさん出て来るが、

その中でも、ヴイナスを除いては、

アルテミスといふ処女神が最も魅力ある女神とせられてゐるやうだ。

ご承知のやうに、アルテミスは月の女神で、額には青白い三日月が輝き、

さうして敏捷できかぬ気で、一口で言へばアポロンをそのまま女にしたやうな神である。

さうして下界のおそろしい猛獣は全部この女神の家来である。

けれども、その姿態は決して荒くれて岩乗な大女ではない。

むしろ小柄で、ほつそりとして、手足も華奢で可愛く、

ぞつとするほどあやしく美しい顔をしてゐるが、

しかし、ヴイナスのやうな「女らしさ」が無く、乳房も小さい。

気にいらぬ者には平気で残酷な事をする。

自分の水浴してゐるところを覗き見した男に、

颯つと水をぶつかけて鹿にしてしまつた事さへある。

水浴の姿をちらと見ただけでも、そんなに怒るのである。

手なんか握られたら、どんなにひどい仕返しをするかわからない。

こんな女に惚れたら、男は惨憺たる大恥辱を受けるにきまつてゐる。

けれども、男は、それも愚鈍の男ほど、こんな危険な女性に惚れ込み易いものである。

さうして、その結果は、たいていきまつてゐるのである。

疑ふものは、この気の毒な狸を見るがよい。

狸は、そのやうなアルテミス型の兎の少女に、かねてひそかに思慕の情を寄せてゐたのだ。

兎が、このアルテミス型の少女だつたと規定すると、あの狸が婆汁か引掻き傷かいづれの罪を犯した場合でも、

その懲罰が、へんに意地くね悪く、さうして「男らしく」ないのが当然だと、

溜息と共に首肯せられなければならぬわけである。

しかも、この狸たるや、アルテミス型の少女に惚れる男のごたぶんにもれず、

狸仲間でも風采あがらず、ただ団々として、愚鈍大食の野暮天であつたといふに於いては、

その悲惨のなり行きは推するに余りがある。

美しく高ぶつた処女の残忍性には限りが無い。ほとんどそれは、悪魔に似てゐる。

ところでこれは、好色の戒めとでもいふものであらうか。

十六歳の美しい処女には近寄るなといふ深切な忠告を匂はせた滑稽物語でもあらうか。

或いはまた、気にいつたからとて、あまりしつこくお伺ひしては、

つひには極度に嫌悪せられ、殺害せられるほどのひどいめに遭ふから節度を守れ、

といふ礼儀作法の教科書でもあらうか。

或いはまた、道徳の善悪よりも、感覚の好き嫌ひに依つて世の中の人たちはその日常生活に於いて互ひに罵り、

または罰し、または賞し、または服してゐるものだといふ事を暗示してゐる笑話であらうか。

 いやいや、そのやうに評論家的な結論に焦躁せずとも、

狸の死ぬるいまはの際の一言にだけ留意して置いたら、いいのではあるまいか。

 曰く、惚れたが悪いか。

 古来、世界中の文芸の哀話の主題は、一にここにかかつてゐると言つても過言ではあるまい。

女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでゐるし、

男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかつてあがいてゐる。

作者の、それこそ三十何年来の、頗る不振の経歴に徴して見ても、それは明々白々であつた。

おそらくは、また、君に於いても。

自分自身は女にモテモテだった太宰だが、

愚鈍なおっさんを善、

綺麗な処女を悪として描いたこんな傑作もあるのだ!

太宰ファンには若い女が多いと思うが、

おっさんが読んでも感情移入出来る普遍性のある優れた文学が太宰治である。

教科書に載ってる「走れメロス」は精神状態が健全な時に書いた駄作である。

太宰文学は、皮肉やギャグが筒井康隆に似ていると思います。

お伽草紙 (新潮文庫)

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