「魔女」ゴヤが見た闇の世界・新日曜美術館

2006年4月30日放送

ゲスト解説者は、森村泰昌氏と大高保二郎先生であった。

フェルメール程度の並みの巨匠なら森村氏一人で十分だが、

並みの巨匠の25倍の能力を持つ、19世紀の大巨人、

知的レベルの低い中世芸術から脱皮し、近代芸術の開祖となった

世界で唯一人の本物の天才画家ゴヤを語るには、二人では不足ですな。

200人ぐらい欲しかったw

現代美術に通じる全てのイズムの発明者であるゴヤ

一時間で語り尽くすことは不可能なので、

今回は、ゴヤの描いた「魔女」の絵を中心に、

グロテスクな闇の画家としてのゴヤにスポットを当ててます。

あまり語られることのない「魔女の飛翔」のマイナー版から話は始まります。

レギュラーのナレーターが最初にゴヤの名を出す時、

「天才画家ゴヤ」としっかり言っていたのは良かったざんす。

ゴヤには美術の全てがある。

レギュラーの壇ふみは、パープリン女を演じて、

「綺麗な女性の絵だけ描いていればいいのに、グロテスクな絵も描いたゴヤが理解出来ない」

と語らさせられていたが、

ルノワールやラファエルロやリッピみたいに、綺麗なねーちゃんの絵ばかり描いていた画家は、

知的レベルの低い性欲の権化であると理解すべきである。

人間の内面を見つめて、精神の高みを目指して飛翔し続けたゴヤの晩年が、

グロに行き着くのは必然である。

救いのない暗いグロな絵の世界。

それも人間の本質であり、受け入れるしかないとゴヤは悟っていたと思われる。

人間には魔女に象徴される闇の部分もある。

それを知っているからこそ、単純な綺麗な絵も光輝くのだ。

不幸があるからこそ幸福を感じることが出来るという人生訓にも発展する素晴らしい教養番組であった。

森村泰昌氏の言葉で言えば、

悪い魔女がいるからこそ白雪姫の物語は面白いのである。

今回の森村泰昌氏の女装は、ゴヤの「ロス・カプリチョス」から、

死体から金歯を盗む若い娘ネタでした。

大高保二郎先生は上智から早稲田に移られていたのですね。

性犯罪者の巣窟と化した近年の早稲田であるが、

大高保二郎先生の薫香は早稲田を上品な大学に浄化すると思います。