『パブロ・カザルス喜びと悲しみ』 A・E. カーン 吉田秀和, 郷司敬吾訳 朝日選書

名文句が大量にあるので、アメブロ版は分載としたが、
ここの字数制限を確かめる為に一つにまとめてみる。


パブロ・カザルス「お母さん、あなたはとても美しい人ですよ。宝石を指にはめてみてはどうですか、真珠のブローチもいいと思うけど。ぼくに贈り物をさせて下さい」

パブロの母「パブロや、お金ができたんだね。お前はもっとお金持ちになるだろうよ。でも、私はね、いつまでも貧しい夫の妻でいるつもりですよ」


超一流の天才芸術家にして人格者、パブロ・カザルス

唯一の欠点はマザコンであることだが、この母がまた素晴らしい人だったのです。

芸術と装飾の区別もつかない似非芸術家が蔓延る中、

母は、自分を飾る装飾品さえ拒否したのでおます。

美しく着飾っていれば、本人は楽しい。

自己満足の美しさは単なる装飾品であって、芸術活動でないと認識すれ!

母にとって最高の掟は個人の良心だった。母はよく言ったものだった。

「私は法律を重んじないのが主義ですよ」

また、母は法律には役に立つのもあるが、そうでないのもある、

だから善い悪いは自分で判断しなければならないとも言っていた。

母は特定の法律はある人たちを守るが、他の人々には危害を加えることを知っていた。


悪いことしても法律の網を潜って自分を正当化するゴロツキにはチョームカツキますなw


弟のエンリケが19歳になったとき、当時の法律によってスペイン陸軍から召集令状をもらった。
弟は母のところに来た。
エンリケ、お前は誰も殺すことはありません。
 誰もお前を殺してはならないのです。
 人は、殺したり、殺されたりするために生まれたのではありません…。
 行きなさい。この国から離れなさい」
それで弟はスペインを逃げ出して、アルゼンチンに渡った。
弟は11年後、徴兵令を破った者への恩赦が行われてから帰国した。
私は思うのだ。世界中の母親たちが息子たちに向かって、
「お前は戦争で人を殺したり、人から殺されたりするために生まれたのではないのです。戦争はやめなさい」
と言うなら、世界から戦争はなくなる、と。
戦争は男の仕事と言われ女性はいつも被害者面してますが、

パプロ・カザルスの言うように、母が頼めばほとんどの息子は兵役拒否するよな。

男はみんなマザコンだから(爆)

無償の愛を持つのが母親と言われますが、

実は息子の命より、自分の命や体面が大事な女ばかりだねw

「非国民と隣近所に言われるのは我慢出来ないわ、私の為に、頑張って大量殺人してね、うふ」

ってな感じw


もし、父が本格的な音楽教育を受けていたら、一流の作曲家か優秀なピアニストになっていたであろう。
しかし父は、ベンドレルの教会のオルガン奏者の地位に満足し、
ピアノと声楽の個人教授をやり、歌曲その他の曲の作曲をして楽しんでいた。
父はまた村の小合唱団を組織した。
百年以上たった今日もこれは存続している。
父は村の祭りや踊りで演奏した。
そして音楽をやるときは、全身全霊を打ち込んだ。
美こそ彼の目標で、奇をてらうことなど全くなかった。


美しい芸術活動をしたいのではなくて、名誉欲で自分を表現するために、

芸術を利用している浅ましいゴロツキどもにはいやんなりますよね。

きゃつらは、メジャーになれないと意味がないと思っているからな。

メジャーな芸術教育を受けて、メジャーな活動をしないものは、

才能がないと決め付けるからなw

目立つのが嫌いな人は、目立つ才能がないと決め付ける傲慢な芸術家は、

犯罪者の素質があるのな。

悪いことしても名前は有名になるよ。

芸術活動よりも暴力団に相応しい人物が、芸術系の学校にいる罠w


父は、私が音楽家として生計を得ることができるとは思わなかった。
そのことは経験上困難であると見ていた。
父は、私がなにか生業を身につけることがよいと考えた。
そして実は、私が若いとき、大工の見習いになるようにと
彼の友達の大工と相談をしていた。
私はいつも手仕事を創造的な労働として敬意を表している。
いや、驚嘆している──手先の仕事をする人たちを。
彼らの創造性はバイオリン弾きや画家と全く同じである。
ただ、種類を異にしているだけのことだ。


クリエイターと言われる文化芸術関係者には、肉体労働者を嘲る人もいるが、

パブロ・カザルスの認識は素晴らしいですな!

芸術関係者以外には敬意を表さない芸術関係者は人間の屑ですな。

芸術関係で生計を立ててないものは、芸術に触れる権利さえないと

きゃつらは思い込んでるからなw


私は十一歳のときにはすでに芸術家であったが、
それが偉いともどうとも思っていない。
生まれつき多少の才能があって、
からだの中に音楽がしみ込んでいた。
それだけだ。
特にほめられたこともなかった。
私たちがほめられることがあるとすれば、
与えられた才能を伸ばしているということだろう。
だから若い芸術家をこんなふうに励ますのだ。
「たまたま才能があるからといってうぬぼれてはいけない。
 才能は君たちの関係するところではない。
 君たちがどうしたということではない。
 問題は才能をどうするかだ。
 才能という賜物を大事にしなさい。
 天与のものを汚したり、浪費したりしてはいけない。
 絶えず勉強して、才能を育てなさい」
もちろん、なによりも一番に大切にすべき賜物は、生命そのものである。
仕事は生命への挨拶であるべきだ。


優れた芸術作品は、何の才能もない人間の命より価値があるという意見もあるが、

さすが、パブロ・カザルス

生命が一番大切だと言い切ってしまうのはいいねぇ。

他人の人権を尊重しない芸術家の作品など、価値はないよなw


「われわれには自らを向上させるために常に努力する義務がある」


義務を果たさず権利ばかり主張するドキュソの群れにはイヤンなりますねw


私は、生徒に「自由――そして秩序」という標語を繰り返して言うのだ。


子供は我侭な怪獣なのに、自由を教えて秩序を守る義務と責任を教えない大人がいるので、

今の子供は自分の自由が何よりも優先すると思い込んで育つのでいやんなりますね。

何の社会貢献もしてない子供に自由な権利なんて認めるなゴルァ!

自由なんて概念は日本には福沢諭吉が発明するまで無かったのに、

自由をマンセーする左翼系教師には笑うよな。

自由の素晴らしさを教え込むと、

「自由に大量虐殺したヒトラーが世界一の素晴らしい人ですね」

という論理が発生します。

何かをする自由を認めると犯罪者に悪用されます。

尊重されるべき自由とは、いやなことはされない自由です。


人間はなんたる驚異であろう――人間は自分に対し、周囲の世界に対して、なんと素晴らしい事をなしうるのであろう。
人間こそ自然が創造した最高の傑作である。
しかし人間に善を行う無限の可能性があるとするなら、
同時に悪を行う無限の可能性もある。
われわれすべては自分の中に両方の可能性をもっている。
私は長いこと自らの内部に不義――最悪の犯罪――を行う可能性を宿していることを認めていた、
ちょうど私が私の内部に大きな善を行う可能性をもっているように。
母はよく言っていた。
「すべての人間は心の中に天使と悪魔が同居しているのですよ。
 人は選択をしなければならないのです。
 重大なことはいずれを選ぶかです。
 あなたも良心の声をきき、その声に従わなければいけません」


良心の声を聞かない人間がいるのが、とても悲しいですな。ガクガクブルブル…。


私は十代で人生の最初の深刻な精神的危機を経験した。
その原因がなんであったか、私にははっきり言えない。
学校の課程も終わりに近づいていたが、私の進む方向はまだ実は決まっていなかった。
私の職業についての両親の意見の不一致がつづいていて、
私は、それをひどく気に病んでいた。
父は私が音楽家になることは無謀だと考えて、依然反対だった。
母は私が音楽家になるべきだと確信していた。
二人の対立の原因が私にあるという考えに、私はひどく苦しんだ。
私は、それが終わるようにと願った。
その間、私の頭は新知識、新しい観念や思想でいっぱいで、私の周囲の世界を絶えず探検し、探索し、調査していた。
私の地平線は大いに拡大していた。
手当たり次第に読書をして人生の意義について考えを深めた。
以前は実に多くの美を私は発見した。
しかし今は、あまりにも多くの醜悪さが私の目に映る。
なんと多くの邪悪と苦悩と悲哀!
私は思った。人間はこの汚辱と堕落の中で呻吟するためにつくられたのか。
周囲のどこを見ても私の目に映るのは苦悩と貧困と悲惨と人間同士の残虐の証拠だけだった。
私は、飢えの中で、子供に与える食物もない人たちを見た。
巷には物乞いがあふれ、金持ちと貧乏人の不平等が積もり積もっていた。
下層の人たちが毎日耐えている迫害、
冷厳な法律と抑圧的な措置を目の前に見た。
不正な暴力に反発をおぼえ、腰から剣を下げた警官を見て身震いした。
日夜、こうした現状を憂えた。
私はバルセロナの通りを嘔吐をもよおし、
不安におののきながら歩いた。
私は心の地獄の中にいて世の中の人々にさからった。
夜明けにおののき、夜がくると睡眠の中に逃避した。
なぜこの世にこのような悪が存在するのか、
なぜ人間はお互いにこのような事をしなければならないか、
このような状況下で人生の目的、私自身の存在の目的はどうなるのか、
私には合点がいかなかった。
人々は利己主義で身を固めていた。
どこに憐愍の情を見出しうるかと自問した。
私は、もはや音楽に没入できなくなった。
音楽、いや、いかなる種類の芸術もそれ自体解答になりえないと当時感じたが、
その後も考えは変わらない。
音楽はある目的に奉仕しなければならない。
音楽はそれ自体より大きなものの一部――ヒューマニティの一部――でなければならない。
私の今日の音楽に対する主張の中心は実はこのこと――音楽における人間性の欠如ということなのである。音楽家もまた一個の人間である。そしてその音楽よりも重大なものは人間に対する音楽家の態度である。そして両者――音楽と人間性――は決して切り離すことができない。


社会に抑圧された下層階級の民にシンクロしてしまい、

高尚な芸術活動の勉強に疑問を抱いたカザルスは素晴らしいヒューマニストですよね。

他人が飢えて死のうと、親兄弟に金銭的迷惑をかけようと、

心に何の痛みも感じず、芸術系の大学に嬉々として進学する香具師は人間の屑だよなw


悩みはつのるばかりで、この苦悩を消し去る唯一の道は、
おそらく自らの生命を絶つことだと考えた。
自殺のことが心から離れることがなかった。
しかし、このことを母に打ち明けはしなかった。
母にこの苦悩を話すことはできなかった。
だが母は、私の顔を見て私の精神的な苦悩を察した。
母は、いつも私が心の中で考えていることがわかっていた。
母は私に言うのだった。
「パブロ、なにを悩んでいるの」
「大したことではないんです、お母さん」
母はこれ以上何も言わなかった。詮索もしなかった。
だが母の瞼には、不安と苦しみが宿っていることが私にはわかった。
心の中のなにか、生き延びようとする内的な意思、
心の中深くにある「生の飛躍(エラン・ヴィタール)」なのだろうか、
私は自殺の意志に挑戦した。
心の中で戦いが起こった。
私は逃避と休息の抜け道をもさがした。
私は宗教に慰めを得られるかと思った。
私は母と宗教のことを語った。
母は形式上は宗教的とは言えなかった。
ミサには全然出席しなかった。
母は平生、宗教の話はしなかったが、
他人の宗教や信仰に反対するような言葉を母から聞いたことはなかった。
母は他人の信仰に敬意を表していた。
信仰の面で母は私に意見しようとはしなかったのだ。母は言った。
「パブロ、こういうことは自分の力で見つけなければならないのです。
 あなたの心の中にすべてがあるのです。自分で見つけなさい」


他人の不幸に心が痛み自殺したくなったカザルスの繊細な神経はまさに芸術家って感じですな。

芸術系の大学に通いながら、他人に「死ね!」と叫んで蹴り入れる

暴力美大生も存在しますがw


私は宗教の神秘主義の世界に心を向けた。

放課後、近くの教会に行った。

そして礼拝堂の暗がりの中にひざまずき、

祈りにわれを忘れようとし、疑いを解く答えと慰めを一心にさがし求め、

安らぎと私をさいなむ苦悩をいやしてくれるものを求めた。

会堂を出て数歩あるいて、

また急ぎ戻ることもあった。

だが、その努力のかいはなかった。

人間が天上に馳せた夢に答えを発見できずに、

私は、人類が地上に夢見た万能薬の一つを求めた。

私はカール・マルクスエンゲルスの著作を読んでいた。

社会主義の友人もいた。

社会主義の教条に答えがあるかも知れないと思った。

だが、それもだめだった。

私を満足させないドグマとユートピア的な貪りがあった。

社会と人間を変革するという話は、まやかしだらけだった。

私は心の中で考えた。

人間が利己的でシニカルであって、侵略的であるのが人間の本性の一部であるときに、どうして人間が改革できようか、と。

なにが私をこの深淵からはいあがらせたかを、はっきり言うことはできない。

たぶん、精神力、生命愛、そして打ち破ることのできない私の中の希望だったのであろう。


ヒューマニストの人格者のカザルスだが、

神や偉人の教えで善き存在になったのではないのは重いよね。

宗教や思想で簡単に改革される人って軽いよなw


教師たることは重大な責任をもつことである。

教師はほかの人間の生活を形成したり、方向づけをするのに手を貸す。

こんな重大かつ厳粛な職業がありえようか。

子供と青年は私たちの最大の宝である。

彼らに心砕くことは世界の将来について考えることだ。

さらにまた彼らの精神を育成し、彼らの世界観を形成する意義、

彼らが将来従事する仕事の訓練をし、その準備をさせることの意義を考えなさい。

私は教える職業ほど大切な職業はありえないと思っている。


同感であるが、ミニスカコギャルを容認する日本の高校教師は屑ですな。

破廉恥な格好を推奨して生徒を風俗嬢にしようと企んでいるんだねw


伯はイサベラ皇女のために私が宮廷で演奏する手はずをしてくれた。
彼女はアルフォンソ十二世の姉妹で、音楽に深い造詣を持つ方だった。
この日は私にとって忘れ難い日となった。
といっても、それは何も私が初めて宮廷で演奏したためばかりでなかった。
いや、演奏なら前にもしたから。
母は幼い二人の子をあずける所がなかったので、一緒に連れてきた。
エンリケはまだ乳飲み子で、私が自作の曲を皇女のために弾いているうちに泣きだした。
幼児はおなかがすけば、それが宮廷であろうと、泣くのはあたりまえのことだ。
エンリケは威勢のいい子だったので、その泣き声は非常に大きく、私の音楽との競争になった。
母は静かに、あわてずに、困ったそぶりも見せずに、胸を開けてエンリケに乳を吸わせはじめた。
私は演奏をつづけた…このような場面が、以前、御前演奏中にあったか、
こうしたことが宮廷の儀礼にかなったものであるか、私にはわからない。
だが、母にはどうでもいいことだった。
ほかのところでも母はエンリケに乳を与えたであろう。
皇女がそばにいるとはいえ、どうしてそうしていけないのか。
皇族の前にいるということは彼女にはなんでもないことだった。
彼女にとって皇女はほかの人と全く違わなかった。


天皇を現人神と崇め祭った日本人の精神年齢の低さは世界の笑いものでしたなw


母が住む部屋をさがしてくれた。
それは王宮に面したカリュ・サン・キンティン街にあるアパートの最上階の屋根裏部屋であった。
その部屋からは昔の王様の像の立ち並んでいる王宮の庭園が見下ろせた。
同じ階にほかに四部屋あって、階段の上り口に面した同居人はみんな労働者で、
騒々しいが、気持ちのいい人たちだった。
彼らは、チェロを弾く青年が彼らの暮らしの中に入ってきたということに特別に興味をもった。
そして母とすぐに親しくなった。
母はいつも進んで人の力になる人だったから。
同居人の一人は王宮の広間付のボーイだった。
彼は制服を着ていることを特別に名誉に思っていて、いつも着ていた――私は着たまま寝るのではないかと思ったほどだった!
また靴屋の一家もいた――かわいそうに彼らには精薄児が二人いた。
また葉巻工場で働く数人の女工もいた。
少年たちが走り回り、子供が泣き叫び、母親が追いかける、夫婦喧嘩はする。
どなったり、歌をうたったり、口論したり、それが明け方までつづいて、静かになるときはなかった。
なんという混乱!
なんという喧騒だったことだろう!
だが、そんなことは仕事の邪魔にならなかった。
正直なところ、こっちのほうがもっとうるさかったのだ。
私は絶えずチェロの練習をしていたから。


労働者への暖かい視点があるカザルスは本当に人格者でいいよな。


当時好んでいた特別に複雑なハーモニーに私が恍惚としていたときに、
私の肩に先生はそっと腕をおいて――先生はいつもストゥールに私と並んで腰掛けられた――
やさしく私に言った。
「パブリート、みんなが話す言葉を使いなさい。いいかな」
万人の語る言葉を用いる!
もちろん、そのとおりだ。
芸術一般の目的に関してこれより深い示唆がありえようか。
音楽、いや、どんな芸術も万人が理解できる言語を語るのでなければなんの役に立ち得ようか。


難解な手法が素晴らしいと思うのは三流ですよね。

感動の伝達が芸術なのに、理解出来なかったらそれは無意味な雑音ざんすw


伯の教育は、すでに述べたように、決して音楽に限られなかった。
人生と私の住む世界についてできる限りのことを私に教えようとした。
言語と文学、美術と地理、哲学と数学、音楽史はもちろん、人間の歴史も。
十分な能力をもった芸術家になるためには、人生を十分に理解しなければならないと主張した。
芸術と人生は緊密に絡みあっていて、両者を切り離すことはできないと常に語っていた。
伯は定期的にプラード美術館に私を行かせた。
出かける前に言うのだった。
「パブリート、今日はベラスケスの作品の一つを調べてきなさい」
ムリリョ、ティツィアーノゴヤを調べるときもあった。
堂々たる建築の美術館の回廊や広間で、言われた絵を前にして画家の技巧を調べたり、
作品の意味について思いをめぐらした。
「なにを言おうとしてるのか」
自分に問いかけた。
「どうしてこんな効果を出すことができたのか」
伯はその絵画についてのレポートを提出させ、そのレポートについて討論をするのだった。


一流は一流の薫香を受けているということで、

カザルスはもちろんゴヤの絵を観ていたと証明されてデラ嬉しいです。

芸術を語ってゴヤが出てこない人は三流でガスw


音楽に対する彼のアプローチは非常に真剣なものだった。

時代は世紀末で、芸術家は髪を長くし、ネクタイをなびかせ、流暢な言葉でしゃべった。

美辞麗句、常套的表現、メロドラマ的言辞が流行した。

しかし、モナステリオは超然としていた。

音楽の根底にある原則を重んじた。

音楽を道楽や気まぐれとは絶対に考えなかった。

彼にとって、音楽は人間の尊厳と気高さの表現だった。


親が金持ちで就職する必要がないからと、芸術系の大学で遊ぶ人もいますが、

金持ちの道楽の似非芸術活動は、芸術で感動したい人への冒涜である。

無神経なケダモノの似非芸術家には理解出来ないだろうが、

芸術でなければ救われない人もいるのでおますよ。


私は一度も王族の人たちへの愛情を失ったことがないし、また彼らに対する感謝の気持ちを忘れたこともない。

だが、これはもちろん個人的なことだった。これと私の君主制と宮廷生活一般に対する感情とは無関係だった。

彼らの世界は、私の住む世界とは全然違っていて、私の好まない別世界だった。

貴族はてらいが多く、体裁をつくろい、もったいぶる。

そして陰謀があとを絶たない。

私は庶民の中で育ち、庶民と常に一体だった。

育ちからも、気質の点でも、私は共和主義者だった。

それに私はカタロニア人で、このことを大いに誇りにしていた。

ところが、カスティールの貴族はカタロニア人を見下す風があった。


王室の人々と仲良くなったのに、君主制否定主義者のカザルスは素晴らしいですな。

自分の利益しか考えない小物が君主をマンセーして権力のおこぼれに与ろうとするのザンスw


当時、統治者であったアルフォンソに言った。

「あなたは国王でいらっしゃる、そして私はあなたを愛しています。でも私は共和党なのです」

「もちろん君はそのとおりだ。私はそれがわかるよ。それは君の権利だよ」

と王は言われた。そして私はそうなるより手がないのではないか。

腕を使うという点では私は筋肉労働者でもある。

一生、私は労働者であった。

だから、ついに君主制と共和制の一つを選ぶ時がきたときには、私の気持ちが共和制に向くのは避けがたいことだった…。


芸術家でありながら自分を肉体労働者として認識して、王と親しいのに君主制より労働者に優しい共和制を支持したカザルスは、本物の芸術家だよね。

芸術が王宮と貴族のものであったのは中世時代までである。

民主的な現代でも封建的思考しか出来ない芸術家は時代遅れのアフォざんす。


私たちカタロニア人は自分の国語をもっている――カスティール人のスペイン語と全然異なった古代ロマンス語である。

われわれには独自の文化がある。

サルダーナ舞曲はわれわれの踊りだ。なんと優雅な踊りだろう。

それに独自の歴史がある。

カタロニアは、中世にすでに大国だった。

その影響はフランスとイタリアに及んだ。

今日でも両国にはカタロニア語を話している人が大勢いる。

われわれには国王はいなかった。伯爵を支配者に持つことで満足したのだ。

中世のわが国の憲法には、カタロニア人民がその支配者に呼びかけた、つぎの言葉がでている。

「われわれ一人一人はあなたと同等である、そしてわれわれすべてが一緒になればあなたよりも偉大である」

早くも十一世紀にはカタロニアは戦争の放棄を要求する議会を召集したのだ。

高度の文化をもっていたことを示すこれ以上の証拠がありえようか。


秦の始皇帝は、王より帝より帝王より偉そうな皇帝という名を付けて増長していたな。

大日本帝国は皇帝の上の天皇ですぞ!

俺様は俺達は偉いという帝国主義が成長してきたのが世界の歴史なのに、中世で一国の支配者が王を名乗らずに伯だったとは、信じられない控え目さですね。

そして戦争の放棄まで提唱してたとはカタロニアは凄すぎる!

帝国主義の行き着いたのは大量殺人の世界大戦だったということで、戦後、戦争はかっちょ悪い野蛮な行為という認識が世界で広まったと思ったが、

21世紀になって一部の国では戦争万歳の風潮が復活してますよね。

野蛮な国の住民はスペインに移住しませうw


私は終始、極端な国家主義に反対してきた。

どこの国民もほかの国民にまさることはない。

異なることはあってもまさることはない。

極端な国家主義者は他国民を支配する権利があると信じている。

愛国心は全く違うものだ。

自分の国土を愛する心は人間の本性に深く根差している。


教育なんてしなくても普通に愛国心は育つのに、わざわざ国を愛せよと強要する奴等は、愛で盲目にして他国民に悪い事するつもりだよなw

愛を強要するってストーカー行為じゃないの?

政府をストーカー規正法違反で告訴汁!


教師は生徒よりも多くのことを知らなければならない。
だが私にとって、教えることは学ぶことである。

どんな人間からも学ぶことは出来る。
ともに学び成長するという意識が無い香具師は結局小物で終わるよなw


私はテクニックを磨きつづけた。
過去のいかなる拘束にも妨げられまいと心に決めた――過去から学んでも、過去に縛られまいと。
私の目的はチェロの最高の効果をあげることだった。
私は常々テクニックは手段であって、それ自体目的でないと思っている。
もちろん技法は究めなければならない。だが、それにとらわれてはならない。
テクニックの目的は音楽の精神的な意味と使命を伝えることだということを理解しなければならない。
最も完璧なテクニックは全く目立たないものである。
私は絶えず自分に問いつづけた。「どうしたら、いちばん自然に弾けるか」と。

伝達する内容が重要なのに、伝達する方法が重要だと思っている香具師は芸術家失格だよなw


私は最も重要なことは、音楽に対して畏敬の心をもち、作曲家の音楽を再生するという、音楽家がもつ大きな責任を自覚することだと強調した。

芸術に畏敬の心を持たずに、自分の遊び道具だと思っている芸術系の大学の学生は反省汁!


あるとき、サラサーテは私にブランディをすすめた。断ると、

「なんだって?君は芸術家志望だったね、それでも酒をやらない?うん、そりゃあ、どだい無理だよ」と言った。


酒を飲まないカザルスは一流ですね。

創作表現活動には酒と煙草と麻薬が必要だと思ってる二流がいるよな。

薬物の力を借りないとドーパミンが出ないのは二流ですよな。

早稲田大学のレイプサークルには酒は必需品でしたが、芸術家には酒は必要ありません。

ていうか、酒飲んで馬鹿騒ぎしたい野蛮人は芸術の道を進むな、コ゛ルァ!


ピカール大佐はたいへん変わりだねの将校だった。

長身で半白の口ひげを生やした上品な顔つきをした、もの静かで魅力的な教養人だった。

ことに彼は立派なアマチュア・ピアニストでもあった。

彼は非常な正義漢で、彼の標語は

「芸術には完璧、人生には正義」だった。


手抜きのふざけた作品しか作れないくせに、批判されるとキレて暴力を振るう芸術系の大学に通う学生は反省汁!


芸術家は同胞の闘いと苦しみから離れ、象牙の塔に立てこもるべきだと信じている人がいることを私は知っている。

私はこの考えに不賛成である。

人類の尊厳に対する侮辱は、私への侮辱である。

人間の権利は、他の人たちより芸術家にとって重要ではないのか。

芸術家であることによって人間としての義務を免除されるだろうか。

芸術家こそ、どちらかといえば特別な責任を負っているのだ。

なぜなら、芸術家は特別鋭敏な感覚と知覚力を与えられており、ほかの人の声は聞かれないときも、芸術家の声は聞かれることがあり得るからだ。

芸術家ほど自由の擁護と自由な探求に関心を多く持たねばならぬ者が他にあろうか。

この二つは芸術家の創造活動そのものに欠くべからざるものであるから。


カザルスのように他人の自由の為に闘う芸術家は今はいませんね。

今の芸術家は自由とは自分の自由が尊重されることであり、他人の人権侵害してもOKと思っているからなw


当時のヨーロッパの知識人はアメリカを軽蔑していた。
アメリカには文化がないとか、芸術上見るべきものがないとか言った。
しかし、第一回とその後の訪米旅行を通じて私が感心したことの一つは、
アメリカ人の文化に対する幅広い関心、特に音楽への深い関心だった。
学校は音楽教育を重視し、各学校がバンド、オーケストラ、合唱を持っているのに感心した。
音楽への関心と音楽上の施設――もちろん粗末なものが多かった――が、僻地にも遠い土地にもあるのに目を見はった。
しかし、なによりも私が感動したことは、国民の中に平等の感情が滲透していることだった。
私はヨーロッパの階級差別に慣らされていた。
しかし、共和主義の教育と信念を持っていたから差別はばかげたもの、害のあるものと絶えず感じていた。
私は一度も、人間の差別を認めたこともないし、
偶然の生まれや、たまたま金持ちであるからといって特権に値するなど考えたことはなかった。
だが、今こそ人間の価値が――不平等はこれから解決されていくにせよ――人格と能力によって決定される社会にいると感じた。

芸術的センスの無い大雑把で騒々しいヤンキーにも良いところを見つけるカザルスは素晴らしいですよね!


生涯、私はできるだけ金には関係しないようにと努めてきた。
むろん金は生活上不幸な必需品であるし、
ときには他人のためになることも心得ている。
しかし金には何となくいやなものがひそんでいるような気がして、
私は金を取り扱うのがきらいなのだ。

拝金主義は醜いよなw

私もお金が嫌いで好きで貧乏生活してますが、世間からは馬鹿にされ続けています(爆)

”周の粟は食らわず”ですぞ諸君!


音楽会場に集まる人々に私は象徴的意義を見るようになった。
聴衆の顔をじっと見入るとき、私たちが音楽の美しさを分け合うとき、
私たちは兄弟姉妹であり、みんな同じ家族だと思った。
数年続いた恐怖の戦争や国家間の偽りの障壁にもかかわらず、
この認識は私の心から決して去らなかった。
死ぬときまで変わることはないだろう。
世界の諸国民が幸福と美を愛する心に結ばれて、
大音楽堂にいるように、
一堂に会する日のくることを私は願っているのだ。

芸術は感動の共有、作品で人と人を繋ぎ人を幸福にするもの。

客に暴行する某美大の学生は芸術的センスが欠如してますね、反省汁!


ロシアを数度訪れた際に、ペテルスブルグ以外にも、モスクワ、リガ、キエフ、その他の都市で私は演奏会を持った。
そして私はどこに行っても、あの目に余る対照に驚いた――
一方に、労働者のどん底生活があるのに、他方には貴族階級の俗悪で華美な生活があった。
こうした耐え難い状態に対して人民が再び反抗するのは時間の問題だと私は確信した。
だから1917年に遂にあの嵐が勃発したとき、私は来るべきものが来たと感じた。
しかし、革命にひきつづいて起こったあの不正と弾圧に私がおびえたことも事実であった。
私は、すべての革命において多少の極端は避けられないことを知っている――
私自身、反乱を起こす人民が暴力的な極端な行動に訴えるのをいくらか目撃してきた。
しかし私は、社会改革の名において罪なき人々を処刑する者の行為を許すことはできない。
しかも処刑を受ける人たちの多くは社会改良のため貢献しているのだ。
いかなる目的も功績も、このような手段を正当化することはできない。

左翼にはロシアの芸術を褒め称える人もいるが、

ちゃんとロシアも批判するカザルスは本物の労働者の味方ざんすw


私は、釣りの趣味を彼と共にすることはなかった。

子供のときから美しい生き物がつかまって必死にもがいているさまは見るにたえなかった…。


釣りキチ三平の世代ですが、私も釣りは残酷な趣味に思えてのめりこめませんでした。

心優しいカザルスに大共感ですぅ!


1900年代の初めのスペインはもはや列強の一つには数えられてはいなかったが、
戦争に関しては他のヨーロッパ国民より、より身近に経験していた。
私の戦争の記憶は世紀の変わり目をさかのぼって――1898年の悲劇にたどりつく。
あの時である、バルセロナで悪夢のような光景を目撃したのは。
あの光景はいつも私の頭から離れない。
あれは米西戦争の年であり、スペイン帝国の崩壊した年で、
キューバの植民地、フィリッピン諸島とプエルトリコを失った年でもあった。
スペイン国民と同様、われわれカタロニア人も、スペインの支配に反抗する反乱を鎮圧するためにキューバに派遣された軍が、数年間もだらだら長引いていたことは知っていた。
しかしスペイン人の誰も、軍隊が沼沢地やジャングルで特にマラリヤと黄熱病など熱帯病で、
それほど手痛い損傷を受けているとは知らなかった。
こうした事実は、国民の目から隠されていた。
死傷者の数が増加しているのに、新聞は連戦連勝を伝えた。
スペインは必ず勝つと絶えず予言されていた。
ところが1898年の夏、アメリカ合衆国の戦争介入と同時に急転直下、破滅的な結末となった。
一夜のうちに、全進駐軍は壊滅した。勝利の期待は裏切られ、完敗したのだ!
当時、私はバルセロナにいた。敗戦の報にひきつづき、生き残りのスペイン兵を運ぶ輸送船がバルセロナの港に帰ってきた。
数日間、何千という兵士たち――傷病兵、傷痍軍人、それと飢えと病にすさんだ者たち――が、この市の通りをほっつき歩いた。
その光景の恐ろしさといったら!
ゴヤの「戦争の惨禍」の一場面さながらだった。
「なんのためなのか?なんのためなのか?」、
私は自分に問いかけた。

帝国主義に汚染された国の末路はどこも同じでゲスなw

日本はスペインに50年遅れてますねw


1914年の夏に世界大戦は勃発したが、そのため米西戦争やモロッコ戦役は影がうすくなったことは当然である。

あのときは人類全部が突然気が触れたようになった。

戦争勃発当時、私はパリにいた。町中が狂乱状態になった。

恐ろしい災害がこの国にふりかかってきたという意識があったと考えるだろうが、そんなものはなく、

それどころかお祭り気分に酔ったのだ。

軍楽隊がマーチを鳴らし、戸ごとに窓からは国旗がひるがえり、栄光と愛国心について大げさな演説がぶたれた。

なんたる死の仮装行列だったことか。

微笑を浮かべてパリの大通りを行進した若者のうち、何人がぬかるみの塹壕の中で戦死したか、

あるいは一生不具になって帰還したか、誰も知らない。

そして同じ行進が津々浦々で行われたのだ。


いやはや、人類は何度同じ過ちを繰り返すのでしょうねぇ…。

どうでもいいが、不具が一発変換しないのは言葉狩りですなw

そのうち死とか戦争という単語も表示出来なくなるかもな。


ひきつづいて世界の国々がつぎつぎにこの恐ろしい殺戮にひきずり込まれていったときに、人々は文明そのものが逆戻りをしたと感じた。

あらゆる人間の価値がひっくりかえった。

暴力が賛美され、残虐行為が道義的行為にとって代わった。

同胞をいちばん多く殺した者が最大の英雄となった。

人類の創造的能力――すべての知識、科学、発見――が殺人と破壊を生産することに集中された。

なんのために何百万もの人々が虐殺されたのか、

また何ゆえに何百万の人々が家を失い、飢餓に曝されたのか。

この戦争は民主主義をひろげていくために世界を安全にするためだと、人々は言い含められた。

第一次大戦が終了してわずか二、三年のうちに、

大戦で戦った十いくつの国家が独裁政治にとりこにされ、

別のはるかにもっと恐ろしい世界戦争をするため準備が進行されていたとは!


アメリカは21世紀になっても、

民主主義をひろげていくために世界を安全にするためだと、人々を言い含めて戦争してますなw


若くてバルセロナにいたころ、私は初めて人間の不幸と人間同士の残酷な行為を知って苦しんだのだが、
その疑問が、第一次世界戦争のあの忌まわしい時期に再び私の心をとらえた。
人間はこんなことのために創造されたのか。
ときに憎悪と絶望に打ちのめされた。
ただひとりの子供の命は、私の音楽のすべてにまさるものだ。
戦争の狂気の真っ只中で私が正気を持ちつづけることができたのは音楽のおかげだったろう。
音楽は私には、人間が、そうだ、現在このような荒廃と苦悩のみを引き起こしている人間が創造し得た美の証明でありつづけた。
私は思い出した、一世紀前にヨーロッパがナポレオン戦争に荒らされたとき、ベートーヴェンが、残酷な戦いに苦しめられながら偉大な傑作を創造しつづけたことを。
邪悪と醜悪がはびこる今こそ、人の心の中にある高貴なものを愛することは大切なことかも知れない。
この戦争中、ある人々が憎しみからドイツの音楽を禁止しようとしたときに、
私はバッハ、ベートーヴェンモーツァルトの作品を演奏することの必要性をいよいよ痛感した。
彼らの作品こそ人間の精神と人類の兄弟愛を最高に表現しているのだから…。

敵にも学ぶところはあるという姿勢でないと敗北しますよね。

優れた文化芸術も持たない愚かな敵!

が、それと戦争状態になるのは同じ穴のムジナの愚か者ですよなw

敵を尊重せよ!

って敵を尊重していたらそもそも戦争には突入せんか。


音楽を知りつくしたとしてもそれだけでは十分でない。
指揮者は考えを楽員に伝達することができなければならない――彼の意思を彼らに押しつけるのでなく、考えの真の意義を彼らによく理解させることだ。
問題は、言わんとする内容ではなく、それをどう表現するかだ。
言い方が粗暴だったり、高慢だったりすると、最も深遠な真理といえども浪費されることがありうる。
楽員たちの気持ちを認めて尊敬しなければならない。
「あなたたちは私の召使ではない。私たちはみな音楽に仕える召使です」
と楽員たちに語った。

自分が給料払っている楽団員に対しても尊敬の気持ちを忘れないカザルスは一流ですな。

高慢な社長はいずれ失敗しますよなw


子供のときから私は両親から共和政治を重んずるように教えられていたし、

青年のころから私は自分が庶民であることを知っていた。

人間性を愛する者でどんな人間がそれ以外の感情を持ちえようか。


自分が庶民という認識のない奴は、他人を愛せない傲慢な人間になるよな。

人間性の欠如した欠陥的な存在、それは悪魔や神どすw


数え切れないほどの人々とともに私は、第二次大戦でファッショが打倒されたことによって世界に大変革が起きるだろうことを待望していた。
私は諸国民の間にあらたな自由と友愛の時代が来るのを期待していた。
ところが、すぐに冷戦がはじまり、原爆の実験、再軍備、熱戦がつづいた。
枢軸国の敗北後十五年たって、私がアメリカ合衆国を訪問したとき、
千五百万の人々が死んだ戦争を経験したのに、人々は個人の防空壕をつくっていた。
学校で原爆の防空演習をしている記事を読んでぞっとした。
子供たちが部屋の片隅でしゃがんだり、机の下にかくれる訓練を受けているのだ。
私にとって、こんなことは狂気の沙汰だ。
原爆の唯一の防御は平和しかないではないか。
一九五八年の夏、私はシュヴァイツァと共同して米、ソ両政府に対して軍備拡充競争の終焉と今後の核実験禁止を訴えた。
私は公開の声明文を書いた。
「合衆国とソ連は、人類の長期的な利益のため、各々の政治上の立場の相違を看過するように私は希望します。
文明人がこの世界をより幸福で美しい世界にするために全力を投ずることなく、
さらに破壊的な新兵器を製造し続けうるとは信じ難いことであります」

何千万人何億人他人が死のうとも、人は自分の愛する人を守る為に戦いたがるからイヤンなりますねw

文明人は戦争を避けるべきざんす。


「私は第一に一個の人間であり、第二に芸術家であります。
人間としての私の第一の責任はわが同胞の幸福のために尽くすことです。
私は、神が私に与えてくれた手段である音楽を通じてこの責任を果たすために努力したいのです。
なぜなら、音楽は言語とか政治、国境を越えるものであるからです。
世界平和への私の貢献は小さなものでしょう。
しかし私の信じている理想に、少なくとも最大の努力を果たしたいのです」

芸術家は特権階級だと思っているムカツク奴等が多い中で、

芸術家としての責任を自覚していたカザルスは偉いよな。

暴力を肯定するゴロツキが日本の芸術系の大学にいる罠。ガクガクブルブル…。


「私は、世界の諸民族を引き裂いているのは世界の諸民族ではなく、各国の政府がでっちあげている人為的な障害であることがますますはっきりしてきた。」

会ったこともない、言葉も通じない異民族にわざわざ敵意を抱くのは、愛国心を強調する為の政府の陰謀ザンスw


「一秒一秒、私たちは宇宙のあらたな二度と訪れない瞬間に、
過去にも未来にも存在しない瞬間に生きているのだ。
それなのに学校で児童になにを教えているのか。
二プラス二は四とか、パリはフランスの首都であるといったことは教える。
いつになったら、子供たちの何たるかを教えるのだろう。
子供たち一人ひとりに言わねばならない。
君はなんであるか知っているか。
君は驚異なのだ。
二人といない存在なのだ。
世界中どこをさがしたって君にそっくりな子はいない。
過ぎ去った何百万年の昔から君と同じ子供はいたことがないのだ。
ほら君のからだを見てごらん。
実に不思議ではないか。
足、腕、器用に動く指、君のからだの動き方!
君は シェイクスピアミケランジェロベートーヴェンのような人物になれるのだ。
どんな人にもなれるのだ。
そうだ、君は奇跡なのだ。
だから大人になったとき、君と同じように奇跡である他人を傷つけることができるだろうか。
君たちは互いに大切にし合いなさい。
君たちは――われわれも皆――この世界を、
子供たちが住むにふさわしい場所にするために働かねばならないのだ。
私は今までになんと驚異的な変化と進歩を目撃してきたことだろう。
科学も産業も宇宙開発も、まさに驚異的進歩をとげた。
それにもかかわらず世界は今も飢餓と人種上の圧迫と独裁に苦悩している。
われわれの行動は依然として野蛮人に等しい。
未開人のように地球上の隣人を恐れる。
隣人に向かって武器をもって防衛する。
隣人も同様である。
私は、人間の掟が殺すべしという時代に生きなければならなかったことを嘆く。
いつになったら、人類が同志であるという事実に慣れ親しむときがくるのだろう。
祖国愛は自然なものである。
しかし、なぜ国境を越えてはならないのか。
世界は一家族である。
われわれ一人ひとりは兄弟のために尽くす義務がある。
われわれは一本の木につながる葉である。
人類という木に。」

愛する家族を守る為なら野蛮な行為もいまだに許される、

21世紀といいながら実は未開社会なのはイヤンなりますねw

国家が戦争を推奨するのは野蛮でしかないよなw

パブロ・カザルス 喜びと悲しみ (朝日選書)

パブロ・カザルス 喜びと悲しみ (朝日選書)