『この人を見よ』 マイクル・ムアコック 峯岸 久 訳 ハヤカワ

本書は−−−

気違い男、

予言者のカール・グロガウアー、

時間旅行者であり、

ノイローゼにかかったなり損ないの精神病医であり、

意味を探し求める人、

マゾヒスト、

死への願望と救世主コンプレックスを持つ人間であり、

時代遅れの人物の

二十世紀とその二千年前での物語である。
合掌・・・。

本書をすべての苦悩する青年に読んでほしいと思います。

もし、太宰治にSFを書けるだけの知識と能力があったら、

ひょっとして書けたかも知れん作品。

「駆込み訴え」があるなどと野暮なことは言わんよーに。


「時間と人格の同一性」
ヘディングトンはよく熱をこめてそういっていた。
「この二つの大きな謎。角、曲線、柔らかい、また固い透視図。われわれは何を見ているのだろうか?自分たちが特殊な見方で見ているわれわれというものは、いったい何なのだろうか?われわれは何であり得るのか、いや、これまでも何でもあり得たのか?ありとあらゆる時間の曲折。わたしは時間というものを空間的な比喩を使って表して、あくまでそれを空間的広がりとして扱おうとする考え方を嫌悪する。そんな考え方からは何も生まれないのが当然だ。時間というのは、空間とは何の関係もない…それは精神とかかわっているのだ。ああ、誰もそれを理解しない。きみたちだって理解しないんだ!」

ぼくだって知りたいよ、きみ。ぼくだって知りたいのさ。

あらゆる人間の生活が、ぼくを小さくさせるんだ。

「どうしてぼくは自分の愛するものを何もかも壊してしまうんだろう?」
「まあ、あきれた!そんなおセンチなティーンエジャーふうなたわごとは、あたしの耳には入れないでよ、カール、お願いだから」

「ぼくは世の中の人を助けたいと思ったんだ。だけど、その道を見つけることができなかった。きみも同じように感じているって、自分でいったことがあるぜ…無駄なことだってね」

裏切り。
彼は自分自身を裏切り、従ってまた裏切られた。

さびしい…
わたしはさびしい…

「多分きみはほんの少しばかり、人を喜ばせようとしすぎるんじゃないか、
 カール」

「あなたはキリスト教というものを、何かイエスの死から福音書が書かれるまでの数年の間に発達したものだと考えるという過ちをおかしているわ。でも、キリスト教は新しいものではなかったのよ。名前だけが新しいものだったの。キリスト教というのは、西洋の論理と東洋の神秘主義との合流・異花受精・変形といったものの、単なる一段階にすぎなかったのよ。宗教そのものが、変化する時勢に適合するために自らを解釈し直しながら、何世紀もの間にどんなに変貌をとげてきたか、見てごらんなさい。キリスト教というのは、古い神話や哲学の混合物に対する一つの新しい名前にすぎないんだわ。福音書がやっていることといえば、ただ、太陽神話を語り直し、ギリシャ人やローマ人たちの観念のうちの幾つかを都合よく取捨選択しているというだけのことだわ。
 二世紀という早い時期でさえ、ユダヤの学者たちが、それがごた混ぜだってことをちゃんと暴露してるわ!
 彼らはさまざまな太陽神話とキリスト神話との間にある強い類似性を指摘してるわ。奇蹟などは起こらなかったのよ…それはあとになって、あちこちから借りてこられ、捏造されたのよ。
 プラトンキリスト教的思想を予知していたからといって、プラトンが実際にキリスト教信者であったかどうかを、いつも議論していたとかいうビクトリア朝の紳士がたのことを覚えていて?
 キリスト教的思想ですって!
 キリスト教というのは、キリストの何世紀も前に普及していたさまざまな考えを乗せる乗り物だったのよ。マーカス・アウレリウスはキリスト教信者だったのかしら?彼は西洋哲学の直系の伝統の中で書いているわ。だからこそ、キリスト教は東洋ではなくて、ヨーロッパで受けたんだわ!」

わたしはどこにいるのか?
わたしは誰なのか?
わたしは何者なのか?
わたしはどこにいるのか?

「きみは責任を負わずに宗教の慰めを得ているのさ」

「われわれは皆、いやというほど問題をかかえこんでるんだ。
 もう一つかかえたっていいさ」

罠にかかっている。沈んでいっている。自分自身になることができない。
他の人々が望むようなものに仕立てられている。
これが誰しもの運命なのだろうか?
偉大な個人主義者たちは、偉大な個人主義者を友達に持ちたいと思った
その友人連中の作り出したものだろうか?
偉大な個人主義者は孤独に違いない。
彼らは傷つけることのできない連中だと、誰もが思う必要がある。
結局、彼らは他の人たちより人間らしさが少ないように取り扱われる。
何か存在し得ないものの象徴として取り扱われる。
彼らは孤独に違いない。
さびしい…

「ぼくのことも少しはわかってくれよ」
「なんであたしがそれをしなけりゃならないの?
 おまえがあたしのことをわかろうとしたことなんて、あるのかい?」

さびしい…
わたしに要るのは…
わたしのしたいのは… 

「あなたはそんなに悩んじゃいけないわ、カール。
 完全なものなど何もないのよ。人生をあるがままに受け取ることはできない の?」
「そうだね、それで悪いわけはないやね」

「ぼくの持っている唯一の才能というのは、自己憐憫のそれだよ…」
「いいえ、自己認識よ、その二つは違うわ」

「それがどうだっていうんだい?ありのままのぼくを愛せないのかい?
 これがぼくの本当の姿さ。ぼくはパーシファルじゃないんだ」

「ぼくは自分を哀れんでいる落伍者さ。それをそのまま受け取るか、捨てる  か、どっちかだね」

「きみは彼女の見たきみじゃなくて、自分自身の見たきみを受け取ってほしか ったのさ。どっちが正しいなんて誰にいえる?」

「ぼくは彼女を愛してたんだぜ!」
「自分自身のほうをもっと愛してたさ」
「誰だってそうだろ?」
「多くの連中は、自分自身なんか、まるで愛しちゃいないさ。
 きみが自分自身を愛してるってのは、きみの名誉だよ」
「あんたのいうことを聞いていると、まるでぼくがナルシスみたいだね」
「そんなにいい顔はしてないさ。うぬぼれるんじゃない」

助け…いけない!
頼んではいけないのだ…
ただしてほしいのは…いけない!
助けてくれ!
いけない

自分に対して私心のない愛情を見せたと思われる唯一の人物は、
自分に愛情の表現を許そうとしない唯一の人物なのだ。

わたしがしたいのは…
わたしが必要なのは…
わたしがしたいのは…

「モニカ、ぼくには何か欠けてるものがあるんだ…」
「欠けてるって、どんなふうに?」
「うん、まあ、多分、欠けている点がどこか足りないって感じ…
 いや、もっと強い感じかな、ぼくのいってる意味がきみにわかればだけれど…」
「ああ、まったくややこしいのね!」

「あなたは傷つきやすいのね」
「いや、前にいったろう…自己憐憫さ。
 こいつはとかく傷つきやすさと取られるんだよ」
「ああ、カール。
 どうしてあなたは自分にも少しは情けをかけてやらないの?」
「情けだって?ぼくはとてもそれに値しないよ」

「ぼくは殉教者じゃないし、聖者じゃない。英雄じゃないし、
 本当のところはのらくら男でもない。
 ぼくはただのぼくだ。
 どうして人はぼくをそう取ってくれないんだろう?」
「カール…ぼくはまさにきみ自身であるきみが好きなんだよ」

神は?
神は?
神は?
答えはなかった。

「連中は原型なんてもんじゃないわ…連中は類型よ」
「そんなものはどこにもないんだ」
 グロガウアーは言い張った。
「人間をそんなふうにして判断するのは残酷だよ」

「ぼくの人生はメチャクチャだよ、モニカ」
「誰のだってそうじゃない、カール」

キリスト教のような明らかに諸説を統合しただけの宗教を、なんできみはそんなに問題にするのかね…ラビ式のユダヤ教ストア派倫理学ギリシャの神秘的礼拝、東洋風の儀式などの継ぎはぎを?」

聖書の言葉は…それは多くの場合幾通りにも解釈できるものだった…彼をさらに混乱させるだけだった。そこにはつかむべき何もなく、何が悪かったのか教えてくれるものも何もなかった。

これは喜劇だ。これはわたしが受けるべきものだろうか?望みはないのか?解決はないのか?

わたしのあがない、わたしの役割、わたしのさだめ。一つの誘惑に打ち勝つのに、わたしはまず別の誘惑に屈しなければならない。臆病と傲慢。真実を作り出すためにうそを生きること。わたしはわたしを裏切っているたくさんの人々を裏切ってきた。なぜなら、わたしは自分自身を裏切ったのだから…。

彼の合理精神は、どんな形であろうと、人格的な形をとった神は存在しないということを、彼に教えていた。

「ああ、カール、お前は注意を引くために何でもやらかす気なんだね…」
「きみは脚光を浴びたがっているんだな…」
「まあ、カール、注意を引くために何をやらかすというの…」

その人影は不細工な格好をしていた。
それははっきりと目につくせむしで、左の目がすがめだった。
顔はうつろで愚鈍だった。
唇にはよだれがすこしたまっていた。
「イエスか?」
それは自分の名前が繰り返されるたびにクツクツ笑った。
それは曲がった、よろめくような一歩を前に踏み出した。
「イエス
それはいった。
ことばは不明瞭につながって、こもっていた。
「イエス

わたしは子供だった。いまでも子供だろうか?彼らは子供を殺すようなことはしまい。もしも自分が子供だということを彼らにわからせたら…?
「ぼくは小さな子供にすぎないんだ」
「降ろしてくれ。頼む。頼む、やめてくれ!」
連中は子供を殺すようなことはしないはずだ、と彼は理論的にそう思った。
「あなたをここまで追い込んだのは、カール、弱さと恐怖なのよ。殉教などというのはうぬぼれよ」
それはうそだ…それはうそだ…それはうそだ…。

 わたしの悪魔、わたしの妖婦、わたしの願望、わたしの十字架、わたしの愛、わたしの欲望、わたしの必要、わたしの食物、わたしの主人、わたしの奴隷、わたしの肉、わたしの満足、わたしの破壊者。
 ああ、わたしが強くさえあったら、訪れていたであろう愛の日々。エバと、それからわたしの弱さ故にわたしを求めなかった女たち。勇気あるものに授けられるあらゆる報酬と、強いものに与えられるあらゆる真実。そうしたものをわたしはせつにほしいと思う。これは最後の皮肉だ。
 本式の、避けられない、そして当然の皮肉だ。
 そしてわたしは不満でいる。

この人を見よ (ハヤカワ文庫 SF 444)

この人を見よ (ハヤカワ文庫 SF 444)