『フィレンツェ−初期ルネサンス美術の運命−』 高階秀爾 中公新書

フィレンツェ―初期ルネサンス美術の運命 (中公新書 (118))

フィレンツェ―初期ルネサンス美術の運命 (中公新書 (118))

副題にご注目いただきたい。
運命という題は不幸な運命の時に使われる気がするっしょ?
その通りで、高階大先生は、15世紀のフィレンツェ共和国から始まったルネサンス美術を讃美する意図はない。
エピローグに併記されている「フィレンツェ芸術の挫折」こそが、
高階大先生が訴えたかったことだと思う。
ルネサンスフィレンツェから始まったが、発展したのはベネチアやローマにおいてであり、
ルネサンスで革新された(と言っても所詮古臭い中世美術)絵画を完成(と言っても所詮中世絵画、くどい?藁)させたのは、
スペインのベラスケスなのに、
21世紀の現代人には、フィレンツェなど、ほとんど無意味な都市である。
高階大先生もフィレンツェは15世紀で時が止まっていると書いておられる。
確かに15世紀には、フィレンツェはイタリアのみならず、
全ヨーロッパの文化芸術の中心であった。
が、21世紀人が今更フィレンツェに学ぶことなどほとんどない。
てゆうかぁ、ルネサンスに代表される中世美術を完成させたのはスペインのベラスケスなのに、
21世紀になっても、わざわざフィレンツェに修学旅行に行く高校美術科があるのは、大笑いである。
美術科教師に美術の知識がないことがバレバレである。
一流の手本があるのに、二流を見せても教育効果は薄い。
というか、フィレンツェ芸術に興味を持たせるのは、
徳育の面で逆効果である。
美術史に残る性欲の権化フィリッポ・リッピがいるもんな(藁
3日に一度はセクースしないと気が狂いそうになるリッピについて、
高階大先生も、敬虔な修道僧のイメージからかけ離れた、
けだもののような無軌道な人物なのに、
描く絵は綺麗なのが信じられない。
というようなことを言っているが、
リッピも一員であるイタリアルネサンスは、公序良俗を乱すものであるから、教育の場で教えるべきではないと思う。
綺麗な絵が描ければ、人格はどうでもよいと、子供が誤解しますぜ(藁
自分も僧でありながら、尼さんを拉致してセクースしたリッピは、
北朝鮮人より酷い悪人である。
悪の枢軸国の北朝鮮人と言えども、セクース目的で拉致はしてないのである。
如何にリッピが下劣な悪党か理解出来ましたか?
悪を誉めてはいけません。
善行を為せ!というのが教育だと思われ。
リッピを保護していたメディチ家の当主は、
屋敷に監禁しておけば、リッピも絵を描くことに専念すると思ったのだが、
性欲を我慢出来ないリッピは、シーツでロープを作り、
2階から脱出して女を犯しに行ってしまうのは、呆れ果てますな。
たった3日間の我慢もリッピは出来ないのだ。
1日や2日はなんとか我慢出来るが、セクースせずに3日目に入ると、リッピの頭の中はセークスしたいという思いしかなくなるそうです(藁。
リッピ自身が僕はけだものだと認めております。(爆
リッピの名誉の為にフォローするのなら、いつもいつも法律を破って強姦していたわけではなくて、
和姦出来ないと諦めることもあったそうです。
ただし、やらせてくれないのなら、絵のモデルになれと強要していたらしい。(藁
リッピの第一の目的は女を犯すことであり、
絵を描くのは二の次だったそうです。
リッピの絵は、猥褻目的の代償行為としての絵画である。
ルネサンスは人間再生、人間賛歌などとも言われるが、
リッピは、けだもの主義讃美みたいに思えます。(爆
人間がリアルに描かれていても、ルネサンスは中世美術だということを忘れずにね。
獣よりは人間の方が素晴らしいであろう。
しかし、人間より上位の存在の神を認めている中世美術なのだ。
21世紀に生きていて、ルネサンス芸術をありがたがってる奴は、
もったいないと思います。
ルネサンスより素晴らしいものは、いくらでもあるじゃん!