週刊グレート・アーティスト16・ムンク

ムンクの素晴らしさを紹介するのに、ムンクが語った名文句を挙げる。

レオナルド・ダ・ヴィンチが人体解剖を学び、死体を切り裂いたように、私は魂を切り裂こう。」

魂が篭ってない絵画、魂に響かない絵画には、なんの意味もありませんよね。(藁

「自然は手段であって、目的ではない。自然を変えることによって何かを獲得できるならば、そうすべきだ。」

何の捻りもない写真そっくりの風景画や人物画は、芸術性が少ないことがよく判りますね。(藁

No1:自画像

No2:夕べの家族

No3ハンス・イェーゲル

No4:恋人の肖像

No5:嫉妬

No6:桟橋の上の少女たち

No7:水浴する男たち

左右に少年と老人の裸体も描かれている筈だが、
この本では中央の青年しか拝めない。
年齢の違う裸体を並べた絵というと、ポール・ゴーギャン
最後の作品が有名だと思うが、
人生を描写したいのなら、
男性でも構わない筈で、女に拘るのは、
女に対しての猥褻行為をしたいという願望が画家の頭の中にあるからだと思う。(藁
では、男性裸体画を描いたムンクはホモかと言うと、もちろん違います。
ちゃんと少女の裸体画も描いてます。
↑じゃあロリコンじゃん!(爆)
それも違います、ロリコンでない証明は、少女裸体画の所に書きます。

No8:ヤコブセン博士

No9:安楽椅子のそばの裸婦

裸体画だが、肌色をほとんど使ってないので、
裸体に見えない。
裸にされて恥ずかしそうな不安げな女の顔を描くのが目的である。
ムンクは不安という観念の視覚化に拘った作家である。
モデルを裸にするのは、不安そうな表情を引出す為である。
裸は芸術の為の手段であり、ズリネタの目的ではないのだ。

No10:生命のダンス

No11:魅惑

No12:病める子

No13:思春期
で、18歳未満の少女をモデルにしたと思われる、少女裸体画である。
不安顔を描くならば、性に目覚めた頃の少女をモデルにすれば、
いい表情が描けるだろうとムンクが考えたのは、不自然ではないよな。
あくまでも顔を描くのが目的である。
一応オールヌードだが、少女は両手で、
あそこは見えないように覆っています。
乳首は丸見えだが、ほとんど胸の膨らみはないので、
少女にとって乳房を見せる行為は、不安ではない年頃と思われる。
芸術目的と騙して、密室で少女に悪戯したと誤解されるのを防ぐために、
製作現場にアドルフ・パウルも立ち合わせているのが、ムンクの偉いところ。
密室で裸の少女と二人きりになりたいと願うのは、
猥褻目的と誤解されても仕方が無い。
芸術の為に少女を脱がそうと画策している人は、
誤解されないような言動をとりましょうね。
小学生でも援助交際する乱れた現代日本では、
芸術の為のヌードなど有り得ないであろうが。
「大股広げて性器丸見えにしないで、恥ずかしそうな不安げな表情をしてくれ」と、画家が頼んでも
「別に恥ずかしくないもぉぉぉん。お金くれるのなら、挿入したっていいんだよ。」
という破廉恥少女ばかりで画家も困るであろう(藁

No14:叫び
有名すぎて、コメント書くのも白々しくなるが、
万が一誤読している人の為に書くならば、
叫びとは、血の色の雲の叫び声であり、
中央の人物が叫んでいるのではありません。
人物は叫び声が聴こえたので、不安になって耳を塞いでいるのです。
ちなみに人物はムンク自身です。
ムンクは本当はハンサムですけどね。

No15:不安

No16:太陽

No17:家路につく労働者

芸術家が創作する場合に考えなくてはいけない3大モットーは、
自由と正義と労働である。って、それはゴヤのモットーだが(藁
自分の天才性を信じて自由に絵を描く画家はいっぱいいるだろうが、
正義と労働に共感する能力がない画家もいるのは嘆かわしい。
立派な労働者、素晴らしい労働者の絵を描きたいと思わずに、
美少女の絵ばかり描いている画家は、変態ロリコン男だと思います。(藁
精神異常者でもあったと揶揄されるムンクであるが、
ちゃんと労働者の絵も描いているのだから、まともな画家であったと言えると思います。
労働者への共感がない画家こそ、人格障害者だと断定します。(藁

No18:孤独な人たち

No19:スタッチュの肖像

No20:海辺の会合

No21:マドンナ