『西洋美術史』?「現代?」 高階秀爾 美術出版社

?現代?

?a世紀末から20世紀へ
1900年という世紀の変り目の年をはさんで、第一次世界大戦の幕が切って落とされるまでのほぼ四半世紀を、
フランスでは「ベル・エポック」(良き時代)と呼ぶ。
アール・ヌーヴォー」(新しい芸術)。
「ユーゲントシュティル」(青春様式)。
「モダン・スタイル」(近代様式)。
国により、地域によって異なった名称を持ってはいたものの、造形美術のみならず、
建築、工芸デザイン、ポスター、挿絵など広くあらゆる分野にわたって相互に交流影響が見られ、
華麗な曲線模様を主体とした斬新な装飾文法を中心に新しい美学が追求された。
分離派の精神も同じようなもん。
アドルフ・ロースは「装飾は犯罪である」として純粋な造形性を求めた建築家。

?b変貌する建築と彫刻
新しい建築の波
19世紀においては、建築家の主要な役割は、一つの建物を、それももっぱら外観を、
どのようにデザインするかという問題に限られていた。
だが、産業革命以後急速に巨大し、複雑化して絶え間なく変貌するようになった現代社会においては、
建築家は一つの建物を完成させるだけではなく、
その建物の社会における機能やあり方にもいっそうの配慮を払わなければならないようになった。
つまり、都市計画、地域開発、交通網の整備、社会機能の再編成など、
総合的なプログラムの企画と推進に、建築家の創造的エネルギーが求められるようになった。
20世紀建築は、理知的、合理主義的な機能主義建築と、
感覚的、表現主義的な有機的建築の二つの流れに分けることができる。
機能主義建築は、形態よりも機能を優先させる。
機能主義建築は、合理的形態とともに、規格化、プレファブリケーション(組立家屋部分品製造)による
大量生産の可能性とも結びつく点できわめて現代的な性格を持っているが、
他方、そこには、文字通り機械のような冷たさを感じさせるものもある。
それに対して、いっそう感覚的、人間的な建築を求める流れが、
有機的建築と呼ばれるものである。
有機的建築を代表するのは、シカゴ派の巨匠ルイス・サリヴァンに学んだアメリカのフランク・ロイド・ライトである。
戦前の帝国ホテルの設計者でもあるライトは、建物はその土地ごとにふさわしい個別化されたものでなければならないと考え、
内部の空間が一つの有機体のように必然的なつながりを示す個性的な建築を造って、
後の世代にも大きな影響を与えた。
30世紀にマゼラン星雲の新地球にサイバークローンとして甦ったライトは、
ロール・エンディミオン邸として落水荘2号館を作り、
救い主アイネイアーに建築を教え、宇宙征服を企む悪のカトリック教会から銀河を救うために戦った。
現代彫刻の展開
キュビスムの彫刻は、絵画においてと同じように、大胆に対象を解体し、再構成して、構成主義や抽象彫刻にもつながる新しい造形表現をもたらした。

?c20世紀の新しい絵画運動
フォーヴィスム表現主義
1905年、パリのサロン・ドートンヌの一室に集った若い画家たちは、その激しい鮮烈な色彩表現のゆえに、当時の批評家から「フォーヴ」(野獣)と呼ばれた。
フォーヴィスムは20世紀最初の絵画革命。
フォーヴィストは、新印象主義の色彩理論やゴッホの激しい原色表現の影響を受けて色彩の独自の表現力にめざめ、
色彩を再現的、写実的役割から解放して直接感覚に訴える表現手段たらしめようとした。
アンリ・マティスは一時キュビスムに惹かれたが、その後明快な色彩を生かした豊麗な調和の世界に到達した。
キュビスム未来派
フォーヴィスムが色彩における絵画革命であったとすれば、キュビスム(立体派)は形態と構成における革命。
スペインで生まれたパブロ・ピカソは、20世紀の初頭からバリに住み付き、90年に及ぶ長い生涯にわたって絶え間ない革新と大胆な実験を試み、
20世紀芸術の方向に大きな影響を与えた。
パリに出て来た当初の「青の時代」では、貧しい人々や母と子などをテーマに、青春の抒情を暗い青の色調の中に歌い上げたが、
次いでいっそう構成的な「バラ色の時代」を経て、1907年、キュビスムの出発点とも言うべき「アヴィニョンの娘たち」を生み出した。
そこでは、黒人彫刻や古代イベリア美術などのブリミティヴ芸術の影響による大胆なデフォルマシオンと、セザンヌに学んだ知的構成が一つになって、
それまでになかった新しい絵画世界が実現されている。が、「キュビスム」(立体派)という名称を最初に与えられたのは、ピカソではなくて、
ジョルジュ・ブラックである。
ピカソは、WW?中のイタリア旅行を契機に平明な新古典主義の世界に復帰し、さらに1930年代には「ゲルニカ」に見られるような激しい幻想的イメージに移行するなど、
絶えず変貌を続け、晩年にいたるまで尽きることのない創作意欲を示した。
抽象と構成主義
絵画における再現性の拒否と自律性確立の要請が、革新的な芸術家たちを抽象表現に向わせた。
ロシア生まれのワシリー・カンディンスキーは、抽象絵画のさまざまな可能性を探り、晩年には、
厳しい全体構成のなかに無数の小さな形態が乱舞する「縞」のような偉大な総合にまで達した。
動きの表現に拘った未来派に刺激を受けたロシアのミハイル・ラリオノフとナタリア・ゴンチャロヴァは、
「レイヨニムス」(光輝主義)と呼ばれる抽象表現を試みている。
レイヨニムスの抽象から、カジミール・マレーヴィッチを中心とする「シュプレマティスム」(絶対主義)の抽象が生まれた。
現実との関係を否定して、絵自体の絶対的価値を求めたシュプレマティスムの極限の絵は、白地に白い正方形を描くという
何も描かれていないように見える絵である。観られるという現実との関係も否定するものである。芸術というより頓智合戦ですな。
当初シュプレマティスムに加わっていた、ヴラディミール・タトリン、アントワーヌ・ペヴスネル、ナウム・ガボは、
鋼鉄を材料としていくつもの部品から全体を構成する「構成主義」の運動を始めた。
幾何学的な抽象のもう一つの極限である、垂直線と水平線の構図に三原色を組み合わせるという「新造形主義」は、絵画のみならず建築やデザインにも拡がり、日常生活にも浸透した。
ダダ・シュルレアリスムと幻想
抽象絵画は、絵画が現実世界の再現を拒否して、色や形などの造形要素だけで自律的な表現世界を作り上げようとするものであった。
それに対して、同じように再現性を否定しながら、絵画の自律性を求めるのではなく、
人間の心のなかの未知の世界を探ろうとする動きが、やはり20世紀美術の重要な流れとして認められる。
広い意味で幻想絵画と呼ばれるものがそれである。
このような幻想絵画は、むろんいつの時代にも存在し得るものであり、
特に世紀末の象徴派のなかにその代表的事例を見ることが出来るが、
20世紀においては、一時期のピカソパウル・クレー、マルク・シャガールなどのような特異な才能を生み出したことと、
限りなく複雑化して行く社会に対するひそかな不安がさまざまな反応を呼び起こしたことによって、かつてないほど多様なものとなっているのである。
イタリアの「形而上派」の代表的画家の、ジォルジオ・デ・キリコは、
静まりかえった広場、人気のない建物、長くのびた影などを主要モチーフとした
白日夢のような一連の町の風景(「街の神秘と憂愁」等)において、どこか郷愁を誘う詩情にも欠けていない神秘的雰囲気と
不気味な不安感を見事に造形化して見せた。
それは、機械文明を讃美する未来派の騒々しい楽観主義のちょうど裏返しの世界と言ってよい。
キリコが鋭敏に感じ取った不安は、WW?という未曾有の災厄によって現実のものとなった。
デ・キリコの子孫でキュビスムに心頭したキリコ・キュービィは、人間を支配する神の脅威を感じ取り、
ニーチェの理想とする「超人」になり、アストラギウス銀河の平和の為に神を殺した。
戦争を生み出した文化や社会に憎悪した芸術家たちは、やけくそになり、社会や文化の全てを否定する「ダダ」の運動を始めた。
運動の陰には、ウルトラマンに倒されたダダ星人の息子の暗躍があったのは間違いない。
ダダイストデュシャンは、便器を「泉」と題して展覧会に出品した。
ダダの運動は、あらゆるやり方で価値の転換を試みた。
それは過去の芸術や文化の徹底した破壊と否定の運動だったのである。
ダダに続いて登場した怪獣ブルトンに触発されて、
シュルレアリスムの運動が始まった。
シュルレアリスムは、ダダの否定の後を受けて、夢や無意識や非合理の世界を解放することによって新しい価値を創造しようとした。
ドイツのマックス・エルンスト
スペインのサルバドール・ダリ
ベルギーのルネ・マグリット
フランスのイヴ・タンギーなどのシュルレアリストたちは、それぞれに想像力を駆使して、夢と現実が矛盾することなく一つの世界を形作るような「超現実」を実現しようとした。
その理論は、1924年に詩人のアンドレ・ブルトンが発表した「シュルレアリスム宣言」にまとめられているが、
技法は「デペイズマン」「オートマティスム」「フロッタージュ」「デカルコマニー」などの多くの新しい方法が用いられた。
エコール・ド・パリと素朴派
様々な絵画運動に参加せずに自己の世界を表現し続けた画家たちももちろんいた。
プロは「エコール・ド・パリ」と呼ばれ、
素人画家たちは「素朴派」と呼ばれた。