『窒素固定世界』 ハル・クレメント 創元
- 作者: ハル・クレメント,小隅黎
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1984/09
- メディア: 文庫
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「<放浪者>だって、他人の話を批判的に聞くことはある。みんながみんな、自分のしゃべっていることを本当に知っているとは限らないからね。わかるかい?」
「当然、知らずにしゃべっていることばには耳をかさないってことか」
「嘘がいいことだなんていってないわ。でも、人間にしろ、あの生物にしろ、つねに本当のことをいうとは限らない。それに気がついたからといって、非難されたんじゃたまらないわ。理想主義を礼讃するのはいいけど、わたしたちは、もう少し現実的にならなければならないことに気づいたのよ」
「じゃ、勝手に信じたいことを信じてればいいだろう」
「この連中だって、何年もかけて、自分たちが正しいという理論を組みあげてきているんだ。口さきひとつで、それを捨てさせるのは無理だよ。何かほかの話題を考えたらどうだい?時間の無駄だよ、議論そのものを楽しんでいるのでなければね」
「そんなことのできるやつは、どこにもいないはずだ!」
「みんな同じことをいうのね。理想主義者たち。自分たちにやれないことは、誰にもやれないと思いこんでる。まるで想像力ってものがないんだから。充分強い動機さえあれば、人間は何だろうと、たとえどんな不快なことでも、やる気になれるのよ」
生化学ハードSF。
クレメントの本職は高校理科教師だから、本が売れなくても生活には困らない。
読者に媚びる必要がないので、ハードの真髄を追求できる。
石原藤夫も本職は大学教授のくせして、惑星シリーズや光世紀パトロールシリーズで白ける
ギャグや色気を出していて、ホント、イヤになる。
クレメントを見倣え!と言いたくなる。
この作品以前のクレメントは、地球とかけ離れた生態系に住む異星人を科学的に創造してきたが、
いかんせん、メンタリティは人間とほとんど同じであった。
クレメントに限らずSFの持つ宿命かも知れぬが、何もかもが異質なものを描写しても、
小説として感情移入すべきところが何もなかったら、
SFとしては凄くても、小説としてはまったく面白くない作品になってしまう。
想像出来ないものを想像しようとするスタニフラム・レムの態度はSF作家としての鑑かもしれぬが、
小説としては読むに耐えない。
だが、クレメントはこの作品において、人間とメンタリティも外見も違う魅力的な知的生物を登場させた。
人間達にボーンズと呼ばれる彼らは、窒素化合物を食べれば呼吸する必要もなく(正確には呼吸器はない)
魚に手足を付けたような軟体動物の彼らは、敵とか武器という概念を知らないのだ。
単性であり、接触することにより他の個体の全記憶を自分のものに出来る彼らには、
あなたとかわたしという概念もない。
彼らの生きる目的は知的好奇心を満足させることだけである。
宇宙旅行の技術を手に入れた彼らは、自分達が生活出来る惑星に、片っ端から探査の為に着陸した。
彼らが地球に来たのは40世紀、人間が作った窒素酸化固定植物の誤算により、
大気の酸素は殆んど、窒素酸化物として地中に溶けてしまい、
人間は酸素マスクなしでは地上を歩けなくなり、人口も減り、文明も退化し、二酸化炭素の
増加による温室効果で極地の氷が溶け、大部分の地表が水没してしまった時代であった。
この時代の人間は二種類いた。
丘をくりぬいたドーム都市に住む<ヒラー>と、都市を追放された<ノーマッド>。
ボーンズ達はヒラーには<インベーダー>と呼ばれ攻撃され、
ノーマッドには<ネイテイヴ>と呼ばれ友好関係にある。
酸素マスク無しで地表を歩けたのが伝説となってる未来なので、
自分達を異星人だと認識してる地球人がいるのだ。
ボーンズを地球の原住民と認識する地球人が出てくるw
「重力への挑戦」ほどの名ラストシーンがないから、クレメントのNO1だとは言えないが、
「超惑星への使命」「テネブラ救援隊」には勝るとも劣らない作品であろう。
偉大なる地球人が原住民扱いされて異星人に観察されるとは何事だ!
地球人が異星人をこき使うのが当然だ!というお方にはクレメントのワースト1になるだろうがw