『クラシック千夜一曲』 宮城谷昌光 集英社新書

クラシック千夜一曲 ―音楽という真実 (集英社新書)

クラシック千夜一曲 ―音楽という真実 (集英社新書)

タイトルの意味は、一曲の感動は千夜を豊かにするということです。

で、中国古代史小説の第一人者として人気大爆発した宮城谷昌光が、

中学時代から現在までに聴いたクラシックの名盤のマイベスト10を熱く語った本である。

音楽の専門家でないからこそ、語れる真実というものもある。

優れた音楽は一曲で3年楽しめるとは言うものの、

音楽は贅沢な趣味だと宮城谷昌光は認めており、

小説家として売れる前の、低所得時代には、音楽からは遠ざかっていたと正直に告白しておられます。

貧乏人にはオーケストラの生演奏なんか聴きに行く習慣は出来ませぬ(藁

この本もCDの紹介がメインです。

中国物の小説家として、期待通りに、諸子百家と音楽についても触れております。

音楽擁護派の筆頭は、音楽教育が情操教育に役立つと思っていた孔子であり、

否定派の筆頭は、音楽不要論を唱えた墨子だそうです。

墨子は音楽を聴くどころか、地名に歌の文字がある都市(朝歌)さえ毛嫌いして、

そこをわざわざ迂回して旅したそうです(藁

私の趣味の内、音楽はランクが低くて、

墨子同様、音楽などなくても構わないのだが、

文化芸術を愛する人間としては、音楽にも未練があり、

小説家として好きな宮城谷昌光のお勧めなら参考になると思ってこの本を買いました。

具体的な曲名の前にもう少し宮城谷昌光のことに触れると、

昌光少年は中学時代にクラシックに感動したので、

高校時代はプロの音楽家になろうと思って、色々作曲していたそうです。

楽譜をピアノを習っているクラスメートに見せたが、

「いい曲ね、でも私には演奏出来ない」

と言われ、自分のセンスに疑問を持ち、

音楽教師に相談したら、

「プロの音楽家になるにはピアノが弾けるのが最低条件」

と言われ、音楽のプロへの道は断念したそうです。

普通の家庭の男の子がピアノなんか習えるか!ですな。(藁

小説家として大成し、この本を書いたが、

音楽の感動を文で伝えることの無意味さも承知している宮城谷昌光の心構えは胸を打つ。

「私は物書きだから、文を連ねるしか手段がないのだ!」

「私の拙い文でも、優れた音楽に触れるキッカケになり、魂が救われる人が出来れば幸いである」

とのことです。

では、曲名。


メンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲

ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮
ボストン交響楽団(1959年2月)


ベートーヴェン/交響曲第六番「田園」

ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団(1958年1月)
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1971年5月)
エードリアン・ボールト指揮
BBC交響楽団(1972年8月)


チャイコフスキー/ピアノ協奏曲第二番

ヴィクトリア・ポストニコワ(ピアノ)
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮
ウィーン交響楽団(1982年10月)


ビゼー/「アルルの女

アンドレ・クリュイタンス指揮
パリ音楽院管弦楽団(1964年1月)
イーゴル・マルケヴィッチ指揮
コンセール・ラムルー管弦楽団(1959年12月)


グリーグ/「ペール・ギュント

ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団(1972年75年)


プロコフィエフ/「三つのオレンジへの恋」

ネヴィル・マリナー指揮
ロンドン交響楽団(1980年4月)
シャルル・デュトワ指揮
モントリオール交響楽団(1988年5月)


ムソルグスキー/「展覧会の絵

セルジュ・チェリビダッケ指揮
ミュンヒェンフィルハーモニー管弦楽団(1993年9月)


フォーレ/「エレジー

パプロ・カザルス(チェロ)
三流は売ってるが、カザルスのCDは無い!?


ブラームス/交響曲第三番

エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラードフィルハーモニー管弦楽団(1965年)


●ミヨー/「プロヴァンス組曲

シャルル・ミュンシュ指揮
ボストン交響楽団(1960年11月)


カラヤンとかバーンスタインというミーハー指揮者がないのは、

硬派の宮城谷昌光らしくてマンセーである。

だぶっているのはシャルル・ミュンシュのみか?

シャルル・ミュンシュが世界一の指揮者ということでOK?

作曲家も軟派野郎の痴漢のスカトロマニアのモーツァルトが入ってないのは、さすが宮城谷昌光である。

一流は一流を知るということですな、うふふ。