『推測と反駁』 カール・ライムント・ポパー 法政大学出版局

本書のベストセリフ

「批判と批判的討論が真理に近づく唯一の手段」

近づくだけで究極の真理には辿り着けないと認識している、21世紀において意味のある唯一の哲学書

ハードカバー700P越えのポパーの講演の集大成なので、
まだ全部読んでないが、

書評書く前に自分が死ぬ事を考えたら、
ポパーも読まずに死んだと笑い者にされると、
我慢出来なくなって、250Pしか読んでないが、
とりあえず記事にします。
全部読んだら追記すると思います。

ファイヤアーベントのような悪ふざけが過ぎるギャグ哲学者と違って、
科学教をマンセーするポパーは素晴しいです。
宗教的神話より科学的神話の方が何故優れているのかが、
明確に理解出来ます。

自然科学、合理性ヨイショの書だが、
ポパーの博識は、社会科学や芸術も分析していて、
誰が読んでも面白く読めると思います。

社会科学が何故胡散臭くなるのかの分析や、
芸術と言語学を絡めて、芸術=自己表現という概念の
幼さを指摘した箇所も納得しまくりです。

自己表現に拘る奴は、知性、理性の敵だとまで言ってくれます。

自己表現より他者への刺激、他者への刺激より第三者的記述、第三者的記述より論証的思考が一番知的レベルが高いと明確に説明してくれます。

芸術、小説より、ノンフィクション、自然科学の理論に関する討論が、一番知的レベルが高い人間らしい生き方なのです。

推論は反駁されることで、よりレベルの高い説に近づく。

ポパー先生の論理には頷く事ばかりですが、
反駁可能性の無い論理は疑似科学であり、
ポパーに対しての反駁も試みなくてはならない。

私が欠点だと思ったのは、決定論を否定していることです。

決定論を否定して自由意志を認めると、自由な精神、
自由な魂、魂がある人間という神の素晴しい御業、
という神学的思考に陥る危険性があるので、
科学教の信者は決定論者でなくてはならないが、
ポパー先生は決定論はダメポと言ってます。

反駁にもなってませんが、
素晴しい師の教えでも、
無条件に全てを受け入れては駄目。
弟子は師を反駁して乗り越えなくてはいけないのです。

推測と反駁が人間の生きる義務ざんす。


11月8日追記

やっと全部読んだ。
重要箇所をメモっておく。

3000年の哲学史の中で一番のポンポコピーは、
矛盾を認める弁証法をでっち上げたヘーゲル

ヘーゲル弁証法を利用しているマルクス主義も科学理論ではない。

他者との討論に応じない一方的な宣伝は暴力。
言葉穏やかでも、他人を説得することしか考えない者は暴力を愛している者。

暴力が嫌いな理性的な人間は、自分の説得が通じなくても仕方ないという考えを持っている。

議論する事が嫌いな暴力人間を議論の内容で引き付けることは出来ない。

が、話に応じて暴力性が薄れる可能性はあるから、
話かけるのを最初から諦めてはダメポ。

善なる理想(宗教など)に燃えると暴力に訴えるようになる。

大きな善を成すより、身近な悪(貧困、失業、差別など)を少なくするように努力せよ。

国家は必要悪。
社会制度が悪や支配者を生む。
善人が悪に染まらないような国家制度に汁!

カントは誤読されているとカントへの評価は高いのは意外であった。

フッサールのカテゴリーミステイク論にはミステイクあり?

専門家を敵に回してのヘラクレイトスの誤訳論争はさすがにネタが古すぎてどうでもいいよな。

進化論への解釈はグッド!
進化というより単なる変化、進むとか頂点とかいう概念を生物の世代間形態変化に持ち込むべきではない。

ハイゼルベルグがポンポコビーの証拠が埋まってた希ガス
暇な人は量子力学反駁のテキストにしてちょー。

ポパーは絶対的真理絶対的本質というものは存在しないと理解しているが、
ゲーデル不完全性定理は理解出来なかったと正直に述べているところがきゃわいい、うふ。

自分は未熟であるから、他人の言葉によって、
他人と討論して成長しましょうというのがポパーの人生哲学。

自分が負けて他人が成長するのみでも良しというポパーの討論は、
自分から自分に不利になる考え方、
敵に有利な考え方も開陳するので凄い!

討論の目的は敵を倒すことではないのですよ、
敵を倒したいのなら暴力に訴えるべきです。

ポパーは哲学界の野崎昭弘というべき、理性を愛した大巨人であった。
 

推測と反駁-科学的知識の発展-〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス)

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