『美術手帖92年7月号特集バルセロナとスペイン美術』

スペイン美術目的で買った。
スペイン美術に強いのを当HPの売りにしたいので、
たいして感動しないスペイン人画家の情報もメモるが、
適当に流して下さい。(藁
森村泰昌:ポデゴン/鳥(立体)
アントニオ・ピラドマの「死んだ鳥」の立体化。
スペイン・メキシコ美術のオマージュが多い森山は、
現代日本において、唯一人存在価値のある芸術家である。
何の感動も出来ないアブストラクトなオブジェを製作する
自称芸術家は、資源の無駄使いをしていることに気付くように。
感動の量が同じなら3Dより2Dの方がコストパフォーマンスで凌駕する。
逆に言うと屑作品が空間環境に与えるダメージは、3Dの方が遥かに深刻である。
ミケランジェロダビデ像であろうと、階段の踊り場を占有していれば、犯罪になる。(消防法違反)
人の生きる空間を侵害する立体作品を作る芸術家は、
ゆめゆめ忘るることなかれ。
ようは下らない造形物を一から創造しないで、
スペイン絵画を立体化しなさいということさね。
森村泰昌:ポデゴン/壷(立体)
フランシスコ・デ・スルバランの絵の立体化。
森村さん、森村さん,ハァハァハァ…。
アンゼルム・キーファー:ミトガルト
スペイン美術ではないが、キーファーは好きな方なのでメモっておく。
●神吉敬三:美術大国の構造と力
評論である。
美術大国というとフランスもイメージされるが、
フランスよりスペインの方が素晴らしいと理解出来てビバである。
フランスが優れているのは、美術アカデミーなどの美術教育の構造のみである。
猿や象だって調教すれば、色を塗り分けてワケワカラン絵を描くようになります。
フランスに感動出来る絵画が少ないのは、画家の精神の力の問題である。
訓練すれば,猿だって、ルノワールの絵のような美少女は描けるようになるだろう。
しかし、魂が入ってない絵画に君は感動出来るか?
スペインが優れているのは、スペイン人は、
観念の世界に遊ぶことなく、常に変わらぬリアルな人間に対するグローバルな関心と、
人間ドラマへの共感を持っているからである。
グローバルな関心と共感能力が重要なキーワードだと思う。
世界や社会に無関心な無責任人間で、
他人の心の痛みが理解出来ない共感能力のない人格障害者には、人を感動させる絵は描けないということだ。
アロンソ・ベルゲーテ:聖母子と幼児ヨハネ
1510−15
●ルイス・デ・モラーレス:ピエタ
1560−70
ピエタなんて世界中の芸術家が腐るほど題材にしているが、
私が一番感動したピエタはもちろんこれ、
ではなくて実は2ちゃんのAAピエタである(藁
アロンソ・サンチェス・コエーリョ:親王ドン・カルロ
1565
ファン・サンチェス・コターン:メロン、西瓜など
1600
ファン・サンチェス・コターン:食用アザミのある静物
1603
エル・グレコ:オルガス伯爵の埋葬
1586−88
エル・グレコ:無原罪のお宿り(聖母被昇天)
1607−13
●フランシスコ・パチェーコ:キリストの磔刑
1614
ベラスケスの師匠にして養父。
だからあなたも生き抜いてネタのギャグ思いついたが自粛する(藁
実は美術評論家としての方が有名らしい。
●フランシスコ・リバルタ:聖ベルナルドゥスを抱く十字架上のキリスト
1621−22
●マルティネス・モンタニュース:聖ヒエロニムスの懺悔
1609−13
グレゴリオ・フェルナンデス:聖ブルーノ
1636
●ファン・バウティスタ・マイーノ:牧者の礼拝
1612−13
アロンソ・カーノ:受胎告知
1667
ベラスケスのお友達。イタリア人に喩えると、
フィリッポ・リッピだかヒッポ・ロッポ・チョィチョーイだかである。
リッピは処女専門の婦女暴行魔だが、カーノは殺人犯である。
が、二人とも甘く美しい画風なのは困ったもんだ。
単純に美しいもののみ描く画家は、犯罪者の素養があるのか?(藁
●ジュゼッペ・デ・リベーラ:聖ヤコブの夢
1639
●ジュゼッペ・デ・リベーラ:聖ピリポの殉教
1639
ディエゴ・ベラスケス:道化師ドン・ディエゴ・デ・アセード
1644
ディエゴ・ベラスケス:プレダの開城または槍(ラス・ランサス)
1634−35
ディエゴ・ベラスケスラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)
1656−56
ルネサンスに始まる中世美術を完成させたベラスケスだが、
いまいち人気が出ないのは、平凡な人生を送ったからだという、
貫井一美の分析には納得した。
対象を写し取るリアリズム絵画の上手さで言うなら、ベラスケスが世界一なのに、
ベラスケスがネタにならんのは、
彼は性的倒錯者でもないし身体障害者でもないし人格障害者でもないし犯罪者でもない
平々凡々の順風満帆のエリートコースを歩んで天寿を真っ当したからである。
人間だから何かしらの苦悩はあったと思うが、
それをカンバスにぶつけずに、
生きているカメラに徹したのは、ある意味凄いよな。
宮廷画家は絵を描く以外に、国の政治や経済の雑務も命じられるものだから、
彼は絵を描いている時間があれば、
絵が描けるというただそれだけのことに感謝して静かに生きてきたのだろう。
外交官としてルーベンスと会話するのは、
彼にとってとてつもない苦痛だったと思います。(藁
言われた仕事を黙々とこなす真面目な職人のイメージもありますね。
日本では、ゴッホは作品が紹介される前から伝記で人気大爆発したが、
ゴッホ人気を思うたびに、日本人の矮小さに悲しくなります。
ゴッホの悲劇は個人の悲劇。
もっとグローバルな社会的事件に共感してほしい。
というか、素直に絵を見てから感動しろよ、おまいら。
●フランシスコ・デ・スルバラン:キリストの磔刑
1627
●フランシスコ・デ・スルバラン:聖ヒエロニムスの誘惑
1640
●バルトロメ・エステバン・ムリーリョ:無原罪のお宿り
1665−70
●バルトロメ・エステバン・ムリーリョ:さいころ遊びをする子どもたち
1665−75
萩尾望都みたいだ(藁
君はもしかしてエドガー君ですか?と突っ込んでしまったぞ。
私のことなど、もう忘れたろうね。
覚えているさ!魔法使い!(ここで泣いて)
●ファン・デ・バルデス・レアール:つかの間の命
1670−72
●ファン・デ・バルデス・レアール:世の栄光の終わり
1670−72
醜の美学を追求した、骸骨や死体のグロ系でちょっといいかも?
でも、神の救いを認めているのは減点材料だな。
●アシスクロ・アントニオ・パロミーノ・イ・ベラスコ:スペイン桂冠画家
1724
スペインのヴァザーリの異名を持つ美術評論家
一応というか勿論というか画家でもある。
数学オタクなのはポイント高い。
●ルイス・メレンデス:リンゴ、梨、菓子箱、壷
1759
リンゴストーカーの異名を持つ。
静物画の知的レベルを、新古典主義アール・デコの概念を導入し劇的に高めた。
メレンデスが静物画を完成させてしまったので、
セザンヌは彼を抜くにはキュビスムに走るしかなくなった。
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス:我が子を食らうサトゥルヌス
1821−22
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス:着衣のマハ
1803−06
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス:アトロポス
1821−22
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス:カルロス四世の家族
1800
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス:宰相フロリダ・ブランカ
1783
フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス:黒衣のアルバ侯爵夫人
世紀の大巨人、
千年に一人の天才画家、
美術の全てはミケランジェロゴヤにある(あとはイラネ)、
中世美術に終止符を打った、近代芸術の開祖、
美術界のベートーベン、
現代美術に通じる全てのイズムの発明者、
背理の爆発者、
自由と正義と労働の信奉者であり具現者、
無限に成長する知識欲の塊、
恥を知る真面目な男、
光と影の魔術師、
等の異名を持つ。
はじめて聞いた異名があっても気にするな(藁
この本の特集でも、もちろんゴヤに一番ページを割いています。
ゴヤだけが4Pであり、ベラスケス2P、エル・グレコ2P、
ピカソ2P、ミロ2P、ダリ2P、残りの雑魚は1Pか半P(藁
グレコもミロも1Pでいいと思うが、編集部の判断はまあ妥当ですな。
ゴヤについてはあちこちで語っているので、同じことは語りたくないが、
触れていなかった話題というと、
ゴヤの三大モットーが「自由・正義・労働」なのは素晴らしいですね。
誰でも自由は素晴らしいと思うよな。
だが、その自由は正義に基いていなければいけません。
悪いことする自由は存在してはいけないのだ。
そして、自由とか正義とかいう立派なお題目を唱え、
自由を享楽する権利を持つ存在は、
労働という義務を果たしているものに限るのだ。
働いてもいないのに自由とか正義とか口にして、
大人を説教する某高校美術科の生徒は、言語道断横断歩道ますます持って帆立貝である。
●フェデリコ・デ・マドラーソ:ピルチェス侯爵夫人
1853
ホアキン・ソローリャ:海辺の子どもたち
1910
●イグナシオ・スロアーガ:血のキリスト
911
●イシドロ・ノネイ:ジプシーの女
1904
スペインのゴッホ(藁
●ジュリ・ゴンザレス:サボテン人間
1939
ピカソの友達。
ピカソに鉄による具象と抽象の彫刻を教えた。
ピカソの「ゲルニカ」が初出展された会場には、
ゴンザレスの作品も展示されていたが、もちろん誰も覚えていない(藁
●フランシス・ピカビア:危険な力
1947−50
●パウ・ガルガーリョ:アルルカンの頭部
1929
ピカソの友人。一応彫刻をピカソに教えたが、
どっちかというとピカソからキュビスム熱を移された。
代表作アルルカンの頭部は、後に才賀財団の御曹司を護る戦闘ロボットの頭部となる。
●エウジェニィ・ドルス:バロック
1930
美術評論家
20世紀主義というワケワカランものを提唱した。
彼の著作で一番重要なのはもちろん「ゴヤの芸術と生涯」である。
●パブロ・ルイス・ピカソ:生活
1903
●パブロ・ルイス・ピカソマンドリンをもつ少女
1910
●パブロ・ルイス・ピカソアヴィニョンの娘たち
1906−07
ピカソが天才だとは理解出来ますが、
キュビスムには感動出来ません。
ジミー大西ピカソ気取りで自由な絵の素晴らしさを語るのは笑うよな。
自由に崩す前に、きっちり描いて欲しい。
単なる手抜きのヘタクソな絵も、天才的な絵かもしれないという
風潮を広めるキッカケになったピカソには罪の方が重いと思う。
青の時代で留まっていれば良かったのにねぇ。
●ホセ・オルテガ・イ・ガセット:ゴヤ
1959
一般的には哲学者として有名。
マニアには黒い三連星の一人としてドムでガンダムに挑むが倒された人として有名。
●ホセ・グティエレス・ソラーナ:カフェポンポでのテルトゥーリア
1920
●ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナ:イズム
1931
美術評論家
彼の著作で一番重要なのはもちろん「ゴヤ」である。
ガンダムに出演している。
●オスカー・ドミンゲス:デカルコマニー
1937
●オスカー・ドミンゲス:瀕死の牡牛
1944
半ページ扱いの雑魚の中では美術史的に一番重要。
有名なデカルコマニー(転写法)の発見者である。
WWⅡ以後はシュルレアリスムからは離れる。
まさにオスカー君ですな。
って、流れからガンダムネタだと判るだろうが、オスカーネタなんて掃いて捨てるほどあるな(藁
ブリキの太鼓」ネタならかっちょええが、他はやめなはれ!
ジョアン・ミロ:オランダの室内
1928
ジョアン・ミロ:農園
1992
ジョアン・ミロ:恋人たちに未知の世界を明かす一羽の美しい鳥
1941
見たくありません。
ファン・グリス:ワインの瓶と水差し
911
ファン・グリスピカソの肖像
1912
ピカソの肖像はもっとぐちゃぐちゃに崩した方が受けが良くなると思うよな。
ヒトラーに見えるのは私だけでしょうか?
●アントニィ・クラベ:手袋
1971
●アントニィ・クラベ:テーブルクロス
サルバドール・ダリ:ナルシスの変貌
1936−37
サルバドール・ダリ:円錐形的身体が間近に迫ったガラとミレーの晩鐘
1933
サルバドール・ダリ:聖アントワープの誘惑
1946
「ふっふっふ…」
「何者だっ!」
サルバドール・ダリ(父)!」
サルバドール・ダリ(兄)!」
サルバドール・ダリ(弟)!」
「トリオで変身!アイデンティティ戦隊ジガレンジャー!!」
「わたしはダリ?名無しさん」
「いいや、贋作作家サルバドール・ダレだ!」
桜姫って活動休止したんですかねぇ〜?マニアックなネタ振るな(藁
●アントニィ・タピエス:オーカー色とピンク色のレリーフ
1965
●アントニィ・タピエス:オーカーと青のタッチ
1972
●マヌエール・ミリャーレス:墜落した人物
1970
エドゥアルド・チリーダ:水平線賛歌
1990
●アントニオ・サウラ:アヌ
1962
●アントニオ・サウラ:ゴヤの犬
1984
現在はジャクソン・ポロックのようなふざけた抽象表現主義に走ってしまったが、
ゴヤの「砂に埋れる犬」へのオマージュ作品のような、
具象に対する真面目な思いを表現した素晴らしい絵も描いていた。
●ファン・ヘノベス:照準器
1968
●ラファエル・カノガール:作品27
1959
●ラファエル・カノガール:頭部No4
1959
●ラファエル・カノガール:都会のマチネーNo1
1991
アントニオ・ロペス・ガルシア:アトーチャ街
1964
エドゥアルド・アローヨ:街中がそれを噂する
1983
物語想像力豊かに、反ファシズム民族主義の批判的リアリスムの立場で、
現代のメディアや文化や都市の生活を風刺的に提示しようという意気込みは、社会的問題意識が高くて評価出来るが、
いかんせん、表現力が悪くてやや判り辛い。
ワケワカラン何の意味も無い抽象芸術が芸術として認められる現代に、
新しい具象を目指しているのだから、やや捻った作品に成らざるを得ないのは仕方ないが、
ゴヤみたいにストレートに風刺しても良いと思う。
舞台美術も手掛けているそうだから、アローヨが関係している芝居は見てみる価値があるかも?
日本で上演するとは思えないが(藁
●エキーポ・クロニカ:ホッパー
1974
●エキーポ・クロニカ:バリェカスのメロディ
1972
ラファエル・ソルベスとマヌエル・バルデスによる合体ユニットである。
美術は特定の空間に作品を作るものだから、
紙の左右から同時に描くとか、手足とかパーツ分担して立像を作るとか、
手法としては合作がやり易いジャンルだと思うが、
ユニットとして有名な美術家が少ないのは何故だろう?
他人との共同作業が出来ない、自我の強い協調性のない奴が多いのか?(藁
ルーベンスの作品は実はルーベンス工房で、
弟子たちがよってたかって量産していたと突っ込んではいけない(爆
何が言いたいかと言うと、
感動出来ないふざけた作品で個人の名誉を追求するのはよしてほしいということです。
感動出来ない芸術作品を作るよりも、ペイント能力があるのなら、ペンキ屋にでも就職して、
横断歩道の塗装でもしていた方が、社会貢献度は高いということです。
自分の楽しみと名誉と金だけを追求して、社会に対する問題意識のない芸術家は逝ってよし。