四日市南高校(三重)「クロスロード」四日市南高校作 創作

HPをブログ化する時に一度は切り捨てた古いネタですが、

自己陶酔してるだけの創作系センチメンタルプログよりは情報価値があると判断し、あぷします。

旅館もの。

というか、芸術家もの。

老人が主人を務める老舗旅館は、息子が夭折し、

次の主人として孫息子に期待がかけられていたが、

孫息子は、「旅館なんて継ぐか、ゴルァ!わいは東京で一旗挙げるんじゃ!」

と、建築学部のある東京の大学に行ってしまった。

残された孫娘に旅館を継ぐ期待がかけられていたが、

孫娘には美大に進学して画家に成りたいという夢があった。

だが、心優しい孫娘は、

「お兄ちゃんが旅館業を嫌って家を飛び出してしまったのに、

私までも、おじいちゃんを捨てて東京の美大に行きたいなんて言えない。

言えばおじいちゃんが悲しむ。」

と悩んでいた。

そんなおり、父の友人だったという男が訪ねてきた。

男と話して父が芸大で音楽学部に在籍し、男は美術学部卒で現在画家だと知り、

芸術家になる夢を新たに膨らませる娘。

画家に絵を観て貰い才能があると認められ、

夢は膨らむばかりである。

美大のパンフレットも取り寄せたが、

美大に行きたいなんて言うと、おじいちゃんは悲しむと、

人の夢や思いを尊重して、どうしても自分の夢と自由を主張出来ない、自分より人を尊重する心優し
い娘。

そして、自分の夢が何よりも優先するという我儘な兄も帰ってくる。

兄はもちろん、クソジジイの思いなんて尊重する必要が無い、

人を泣かしても、自分の夢の実現の方が大事なので美大に行けばいいやんけ。

と平然と無神経なことを言う。

自分の事しか考えない兄に怒りを爆発させる娘。

兄は祖父の留守中にこっそり帰ってきたのだが、

祖父の予定が変更になり、対面する破目になり、

ドタバタ騒ぎの中で、娘の夢も祖父にバレる。

そして明らかになる祖父と父のエピソード。

祖父は芸術に理解が無いのではなかった。

父が音楽家になる夢を擁いたキッカケは、

祖父が、引き篭もり少年だった父にギターを与え、

音楽という芸術の力で父の魂を救おうとしたからである。

父は旅館を捨てて芸大に行って、すぐ死んだわけではない。

わしが音楽家への道を捨てさせたのではない。

自身の意志でプロの音楽家に成るのを辞めて、

旅館に帰ってきて、旅館の客に演奏を聞かせて、

客の魂を癒す道を選んだのだ。

この曲に聞き覚えはないか?

知ってるわ!

その曲は美術学部にいた頃に僕の心を癒してくれた曲だ!

お父さんは、名誉欲も金銭欲も捨てて、

身近な人の魂を救うことを優先したのね!

美大に行っても良いのだぞ。よく考えなさい。

その夜、娘は旅館のロビーに飾られていた花をスケッチしていた。

蛍鑑賞から帰ってきた客が娘に気付き、

スケッチブックを見せてといい、

娘の絵に感動し、今見た美しい蛍より、娘の絵の方が感動出来る、

この絵を譲って欲しいと言う。

私なんかの拙い絵でいいの?

と娘は謙遜するが、客は上手いと絶賛する。

娘は只で客に絵をプレゼントする。

翌日娘は宣言する。

美大には行きません。父がやったように、

私も旅館の中で生きる芸術家になります。

  とまあ、こんなような話だが、

本物の芸術家を描いた作品で感動しました。

芸術の目的は人を感動させ人の魂を救う事です。

人の思いを否定して人を悲しませ傷つける行為は、芸術家にあるまじき行為です。

商業主義の美大進学を目指す似非芸術家を揶揄した、

社会的問題意識溢れる傑作。

普通の頭の脚本家なら、美大に進学してハッピーエンドになるところだが、

そうせずに、アカデミズムを否定して本物の芸術家を描いたのが凄いのだ。

中部地方は文化不毛の地などと東京もんに揶揄され、

芸術のイベントも名古屋飛ばしされたりするが、

中部地方四日市南という芸術に富んだ高校があるのは嬉しく思います。

もちろん旭丘には素晴らしい美術科があるのは知ってますが。

ノーマークの高校で素晴らしい高校に出会えた喜びは、すごく得した気分です。

愛知、岐阜だけではなくて、来年からは三重の地区大会もチェックします。