『エイダ』 山田正紀 早川文庫

エイダ (ハヤカワ文庫 JA (599))

エイダ (ハヤカワ文庫 JA (599))

想像できないことを想像する天才山田正紀

本作のモチーフは、暗黒物質というか量子宇宙論というか並行世界で、

テーマは、物語の物語というか物語が崩壊する物語というか、

物語の現実への侵略というか、SFが消滅する物語である。

とんでもないメタフィクション

並みの作家なら長編四冊というか、

無限に書けるネタを一冊に封じ込めてしまった傑作。

並行世界ものはなんでもありだが、

天才山田正紀は、他人の書いた小説世界も実体化させてしまったのだ!

フランケンシュタインの怪物に襲われるメアリー・シェリー。

フランケンシュタインの怪物に依頼された事件の顛末を、

ワトスンではなくてコナン・ドイル本人に語るシャーロック・ホームズ

物語世界の架空人物も実在人物として絡み合う。

ある世界の実在は、別の世界ではシミュレーションゲームのシミュクラでしかなかったり、

ゲームの世界が本物になったり、並行世界同士が複雑に絡み合う。

根本は二元論の戦い。

ハードSF世界では、直径0.4光年のクェーサー生物と人類の戦いであり、

それはゾロアスター教の神話の光と闇の戦いでもある。

プラズマ宇宙論で観測するクェーサー生物と、

ビッグバン宇宙論で観測する人類は、

異質過ぎて、お互いの存在に気づく筈がなく、

本来は戦争にもならないのであるが、

量子宇宙論コペンハーゲン解釈は同じだったため、

宇宙の観測者として確率を収斂させるために、

相手を消そうとする。

相手が宇宙を観察して、相手の波動関数が勝つと、

相手の宇宙論の宇宙が観測事実として確定してしまい、

人類は存在しなかったことにされてしまうのだ。

人間原理に基づく我々の宇宙と、

クェーサー生命原理に基づく彼らの宇宙との無限の戦いの物語である。

矮小な人間原理を否定した見事なSFである。

コペンハーゲン解釈と交流解釈の戦いも読み取れる。

我々の並行世界が勝つのか?

それとも並行世界など無かったことに収斂されるのか?

結末が知りたくて一気読み出来るが、

結末は残念ながらそれしかないというあれで、

イマイチではあった。

SFが消滅した並行世界も出てくるのが凄い!

物語が世界を変革する物語なので、

SF物語のパワーは宇宙一かと思うと、

SFはセンスオブワンダーにこだわって、

物語性が少ないので、現実世界に影響するパワーが顕現しないのは凄い皮肉で面白かった。

実体化出来るエネルギーを持たないSFは誰にも必要とされなくなり、

読まれなくなる、観測されなくなるということは、

量子論的宇宙では存在しないということである。

SFという単語も世界から消滅し、小松左京は失意の貧乏暮らしの果てに死に、

失業者と成り下がった山田正紀は、

量子コンピュータ「エイダ」に襲撃をかける!

ん、これは山田正紀の小説「襲撃のメロディ」の実体化現象なのか?

山田正紀の物語世界はパワーを持つのか?

登場人物の山田正紀の正体はやはりアレであった!

メタフィクションの好きな人には本書は楽しく読めるであろう。

山田正紀の小説論として読んでも面白いかもしれない。

例によって数学ネタの不備に突っ込むと、

虚数iは人間の想像世界の中にしか存在しないと書かれているが、

0の左右にマイナスとプラスがある一次元の数直線世界で考えると虚数が存在出来る地点はないが、

二次元の座標軸で、虚数がどこにあるか図示した数学者はいるよ。