『飯綱颪―十六夜長屋日月抄』 仁木英之 学研M文庫

飯綱颪―十六夜長屋日月抄 (学研M文庫)

飯綱颪―十六夜長屋日月抄 (学研M文庫)

出だしが宮城谷昌光みたいに格調高くてかっこよくて、

一気に物語りにのめりこみました。

抜け忍ものの最高傑作であろう。

帯の煽り文からは、謎の大男にぎゃーじんの血が入っているように予測してまうが、

それは明確にはされない。

抜け忍ものだが、主人公は長屋住まいの町人たちであろう。

主人公達が助ける抜け忍の正体が明かされるラストも巧い。

忍法の科学的設定も魅力的。

主人公達が助ける抜け忍は、

万能の忍者であり、

真剣に戦えば、おそらく日本一であろうことが読み取れるが、

その強い彼が追忍に重傷を負わされた理由。

彼が戦わない理由付けが抜群に巧い。

主人公がピンチになり、

ここに彼がいれば楽勝なのに、

と思うシーンが頻出するのは、

忍者小説としての見事なパラダイムシフト。

強い忍者が単純に勝ち続ける物語なんて白けるよな。

飯綱颪という題で抜け忍となれば、

白土三平の「カムイ外伝」へのオマージュかと思うが、

この小説の抜け忍は、

カムイではなくて、○○の子孫。

カムイの子孫だと階級闘争に目覚めて左翼小説になってしまうが、

この小説の忍者達は、そんな不自然な思索には嵌らない。

あくまでも武芸者としての誇りで戦うので、

敵も味方も魅力的な忍者がいっぱい出て来ます。

味方であるべき長屋の住民の磯次以外は、

魅力的な人物ばかりである。

で、磯次が長屋に住むようになった理由付けがちょっと弱いと思った。

大家との深い関係を匂わせて欲しかった。

あと、長屋の住民に双子がいるのがひっかかる。

江戸時代には双子は不吉なものとされ、

片一方を間引く習慣があったと思うが、

この小説の舞台の徳川吉宗の時代にはなくなっていたか?

私の知識が中途半端なのがいけないのだろうが、

双子を出す必然性はなかったので、

出さない方がよかったと思う。

たとえ、時代認識が間違っていたとしても、

この小説が時代小説として一流なのは確かである。

小説で一番大事なのは、魅力的なキャラとストーリーである。

双子について作者様からお返事いただいたので記しておく。

「双子については、いわゆる「ブタゴ」「畜生腹」として歓迎はされなかったかもしれませんが、

 必ず間引かなければならない、という程でもなかったと理解しています。

 間引きを戒める指南書などもこの時期に出ているようですね。」

やはり、私の知識が中途半端でしたw

時代小説としてちゃんと調べている仁木英之作品にみんな燃え萌えしようぜ!