2004年6月6日(日)新日曜美術館「フェルメール画家のアトリエ再現:森村泰昌」
元ネタが金持ちのボンボンのフェルメールが遊びで描いた作品なので、
森村氏が三次元化しても訴求性が薄れるのはしゃあない(藁
フェルメールが絵が上手い事は理解出来たが、
上手いだけの画家なんていくらでもいるじゃん!
三次元化にあたって、森村氏ならではのデフォルメが欲しかった。
NHKで放送するんだから仕方なかったが、女装ももっとグロにして欲しかった(藁
今回の女装は14歳の少女ということだが、
マネキン用に正確に子供服も製作した筈だが、
よく森村氏が着られたものだとちょっち疑問に思った。
で、女装して、立体化した作品の中でポーズをとった森村氏は、
絵を着るという行為から、モデルはフェルメールの娘だという説に思い至る。
娘なのか愛人なのか真相は歴史の闇の中だが、
女性モデルを小さく描いたフェルメールの慎み深さには好感は持てる。
俺様の女は美人だろ、ハァハァハァ…。
という絵を描いて自慢していたリッピやラファエルロやレンブラントやルノワールの品性の下
劣さがよく理解出来ますね。(爆)
フェルメールの絵はあくまでも室内画であり、女の肖像画ではないのだ。
女描くのが目的の画家は、リッピやルノワールが告白しているように、
絵より女の方が好きな性欲の権化である。
ようは、
「深遠なる魂の表現としての芸術と、功利的で浅ましい名誉欲に基いた自己アピールを混同してはならない」
ということである。
表現したいので作品を作るのか、自分を宣伝する為に表現するのか?
ということである。
クリエイターの方は自分の行為が、売名の為に街中で喧嘩するやくざとは違うことを考察されたし。