『夜の果てへの旅』 ルイ=フェルディナン・セリーヌ 生田耕作 訳 中公文庫

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

本書のベストセリフ

「小説、つまりまったくの作り話だ。

だれにだってできることだ」

俺様は偉大な小説家先生でござる

という視点を持ってないセリーヌは素晴しい!

他のセリフも行くぜ!

「女どもは、おどおどした素人に対しては情け容赦ない」 

文学は基本的に女子供のものだが、

メインの読者と思われる女にも毒舌吐くセリーヌは素晴しいですな。

「命びろいする方法について贅沢を言ったり、

自分に向けられた迫害の理由を問いただして

時間を浪費したりするもんじゃない。

賢者にとってはそれを免れるだけで十分だ」

いじめ問題に対する明確な解答ですな。

どうやっていじめから逃げるかということを最優先に考えるべきである。

生き延びた者が賢者である。

いじめがなくなって、元いじめっ子と元いじめられっ子に

友情が育つなんて考えるのは贅沢ざんす。

いじめられっ子も自尊心が強すぎるのでアカンね。

負けたヘタレでもいいじゃん!

命が拾えたなら儲けもの。

自分が誰からも尊重される凄い人物に成りたいなんて

贅沢言っちゃいけませんw

「人生で土壇場を切り抜けるのにいちばん必要なものは、

たぶん臆病心だ。」

勇気を持つと勇敢に戦って死ぬ羽目になるからなw

卑怯でヘタレな臆病心こそ、人は大切にするべきざんす。

気取ったおフランス人に偏見持っていたので、

フランス文学は無視していたが、

真実をズバズバ訴えるあの名ブログ

「クソ共を殺せ 」のhansyakaiさんのお勧めなので、

読んでみた。

高尚な文学としての嫌味はなく、

いじめられっ子体質の主人公の、

社会を呪詛した毒舌文学なので、

面白くスラスラ読める。

糞とかウンコとかいう表現が一番多い文学であろうw

純文学なので当然私小説だが、

スケールの小さい日本の私小説とは雲泥の差の素晴しさ。

主人公は、フランスから、アフリカのコンゴ、そしてアメリカへと

世界を股にかけて逃げ回るw。

僕は頭がいいと主張しても、

第一次世界大戦で学歴が有耶無耶になっており、

アメリカンドリームを夢見てアメリカに渡ったが、

アメリカではフォードの自動車組立工にしか成れなかった。

機械以下の歯車の生活に耐え切れず、

また逃げ出してフランスに帰る。

学歴を整える為に、大学に入り直し、

六年間みっちり勉強して医者になるが、

医者に成っても相変わらず主人公は貧乏なままw

いじめられっ子体質なので患者に舐められて、

無料診察ばかりを繰り返す羽目になり、

自転車や家財道具を売る生活になるww

普通の作家なら、

貧乏人から金を取らない人徳の医者として描写して、

自分を美化するものだが、

真実の作家のセリーヌはそんな嘘は書かない。

純文学作家という者は、

自分だけが繊細な純な存在であり、

他者は自分を傷つける無神経な存在として描くことが多いが、

セリーヌの毒舌は自分にも向けられているのが素晴しい。

主人公が医者に成ろうと思ったのは、

金持ちになって美人のネーチャンを侍らしたかったからである。

嘘臭い教訓話がないのは素晴しい。

アフリカ編も殖民地主義の罪とかは糾弾しない。

白人に取り入る為、性欲の対象になろうと、

体を投げ出す黒人の少年少女の事も語られるが、

主人公はロリコンではないので、

抱かなかったとあっさり語られるだけである。

ロリコンを悪としてムキになって糾弾する奴って、

自分もロリコンなので少女を抱いた奴に嫉妬していると思うよw

頭の中で文句ばっかり言ってる小物の主人公だが、

根本的な生命尊重主義が読み取れるのは素晴しい。

WWⅠの戦場でももちろん敵を殺せない。

敵のドイツ軍の捕虜になることを夢想する毎日。

捕虜になる事が恥なんて概念はない。

敵を殺せないヘタレなんだから、

敵を殺さず生き延びるには、

敵の捕虜になるのがベストですよな。

運良く怪我して内地に戻る事が出来たが、

怪我するぐらい勇敢に戦ったということで、

主人公は勲章を頂くのだが、

内地では戦争の英雄の振りをして、

女にもてようと画策するのが傑作。

嘘臭い反戦文学にもならないのは凄い。

これが真実の文学である。

生き延びる参考に汁!