『戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険』 G・ガルシア=マルケス 後藤政子 訳 岩波新書

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

本書のベストセリフ

ポブラシオンの名無しさん「我々が欲するものはただひとつ、我々が奪われたもの、すなわち声と投票である」


日本での代表作は「アルシノとコンドル」というチリ人映画監督

ミゲル・リティンが、世界一の文化芸術の都スペインのマドリードに暮らしながらも、

軍事独裁国家となった祖国を解放したくて、

ドキュメンタリー映画を撮るために、

12年ぶりにチリに潜入した記録を、

ノーベル文学賞作家のガルシア=マルケスがしたためたルポルタージュである。

リティンはアジェンデ政権が軍事クーデターに倒れた時、

アジェンデ派としてチリ・スタジアムに連行されて、

虐殺される筈だったが、

映画監督としてのリティンのファンの警官に助けられ、

亡命に成功した。

政府はリティンを危険人物とみなし、帰国を許さない。

名を変え、変装し、偽りの過去を捏造し、

ブルジョアウルグアイ人としてリティンはチリで映画を撮る。

もちろん、チリ政府を告発する映画の撮影許可が出るわけがない。

複数の映画撮影隊を組織し、

リティンは影の総監督として采配を振る。

イタリア人で組織されたチームは、チリのイタリア系移民のドキュメンタリーを撮るという名目。

フランスチームは、チリの地理に関する生態学的なドキュメンタリーを撮るという名目。

オランダチームは、地震の調査隊という名目。

一つのチームがチリ政府に正体を看破されても、他のチームを検挙させない為、

複数のチームを指揮していることは、どのチームにも秘密にして撮影は進む。

ドキュメンタリーなので、キャストはほとんど必要ないが、

スタッフ自身が撮影の目的を隠すという芝居を演じるという皮肉に満ちた撮影隊。

敵は、拷問が当たり前の軍事国家の警察だけではない。

軍人も敵だが、中立の軍人もいる。

そして味方になるべきレジスタンスも本当に味方なのか?

命を賭けた撮影隊の感動のドキュメンタリー。

これだけで終わったら並みのドキュメンタリーである。

命を賭けた行動録だが、ユーモア溢れる視点があるのが、

さすがガルシア=マルケスである。

ベストセリフを、

ストリッパー「だんな様、私のお尻がお好き?」

にしようかと悩んだぞw

「ママ・グランデの葬儀」を読んで、

ガルシア=マルケスの本質はギャグだと看破した自分の見識に自信が持てましたww

悲惨な軍事独裁国家の現状を撮影しようとして、

サンチアゴに降り立ったリティンが、

サンチアゴが輝く美しい都市で、

人民が幸福に見えて、

自分の予定稿と違ってうろたえるシーンも面白かった。

ホルヘ=ルイス・ボルヘスは、「ボルヘスと私」だけを読んで糞だと看破した私であるが、

チリ軍事政権を称賛していたと知り、

またもや、自分の見識の高さに自信がつきました。

マリオ・バルガス=リョサは政治問題には曖昧な態度をとる

自己保身しか考えてない小物だと理解出来たのもよかった。

ガルシア=マルケスの長所は、マジックリアリズムではなくて、

悲惨な現実から目を逸らさないルポライター精神にあると思う。

社会的問題意識に溢れていても、

うっとおしいアジテーターではなくて、

ユーモアやギャグを忘れないのが、

ガルシア=マルケスの一流の証明である。

ノーベル文学賞をとったのなら、

適当に美しい言葉を並べただけの意味のない小説でも、

権威主義の信奉者はありがたがって、小説は売れると思うが、

ノーベル文学賞作家になってから、

ルポルタージュを書いたガルシア=マルケスは偉大だ。

賞の権威に汚染されずに、

賞の権威を、名も無き大衆を救うことに利用したガルシア=マルケスはかっちょええよな。

ガルシア=マルケスで読むべき作品はこれと、

「幸福な無名時代」である。

マジックリアリズム作品は、純文学よりのファンタジーやSFでも、

同じような感動は感じます。

ガルシア=マルケスの傑作は、ルポルタージュと、

ルポルタージュのような小説と、

小説のようなルポルタージュでんがな!

同じ新聞記者出身の作家、マイクル・コナリーがガルシア=マルケスも抜くと思うけどね。